会期末を迎えようとする臨時国会
10月24日に始まった臨時国会も残す会期は僅か。12月10日の会期末へ向けて、与野党の攻防も激しさを増す。
臨時国会は2回の会期延長が可能であるため、この後、延長も当然に視野に入って来る。2018年に残された日数は少ないため、延長の幅にも限界があるように思えるが、これまでには臨時国会の会期が年を跨いだこともある。
直近では、2007年の臨時国会が越年となった。9月10日に始まった2007年の臨時国会(第168国会)は、2度の延長を経て、2008年1月15日まで続いたのである。この2007年の臨時国会は何かと反乱含みだった。
2007年の臨時国会
2007年当時、参議院では与党が過半数割れしていた。いわゆる「ねじれ国会」の状況であったのだ。
そんな中で9月10日に始まった臨時国会では、安倍総理が所信表明を行うも、9月12日に突然の辞意表明。自民党総裁選挙を経て、9月26日に安倍に代わり、福田康夫が内閣総理大臣に就任した。この際にも、参議院では当時の民主党代表の小沢一郎が内閣総理大臣に指名された。最終的には憲法の規定に基づき衆議院の議決が国会の議決とされ、福田が内閣総理大臣に指名されるという「ねじれ」現象が起きた。
冒頭から大きな波乱があった2007年の臨時国会。福田総理の下でも、思うような国会運営とはならず、56年ぶりに国会同意人事が参議院で否決されたり、15年ぶりに野党発議による議案(年金保険料流用禁止法案)が参議院で可決されたりもした。
そのような国会運営の厳しさも一因となって、10月末には、福田総理が小沢一郎民主党代表に接近。小沢の要求を一部の飲むことにより、自民党と民主党が連立を組むことが合意されたと伝えられる一幕もあった。連立は民主党内の反発により実現には至らなかったが、混迷する政治状況を表す出来事であった。
ちなみに、この時の自民党の国会対策委員長が大島理森。現在の衆議院議長である。今国会で問題となっている入管法改正に関して与野党の間に立っている大島議長だが、自民党と民主党の大連立に際しても、両党の折衝にあたっていたことになる。
この2007年の臨時国会は、衆議院では300を超える自民党と公明党に対して、民主党は110を少し超える程度の議席であった。一方、参議院では自民党と公明党で100議席ほど、対して民主党は120議席であった。そのような状況にあって、与党も緊張感をもって国会運営にあたっていたと言えよう。
弛緩する与党の国会運営に対して
ひるがえって、現在の国会はどうだろうか。与党は衆参両院で多数を占めていることもあって、最後は数で押し切れることを背景に、強引な国会運営が目立つ。
現在の臨時国会で問題となっている入管法改正についても、中身が具体的に煮詰まっていない法案が提出され、野党が質問をしても、それは法案成立後に決めるの一辺倒。それでも、最後は与党が数で押し切って衆議院通過となった。おそらく、このまま参議院でも最後は数の力で押し切って、成立となることだろう。
野党など存在していないと言わんばかりの緊張感に欠け弛緩した国会運営が続いている。安倍・福田・麻生と三人の総理大臣交代の起点となったとも言える2007年の臨時国会に漂っていた緊張感はそこにはない。
与党は衆参両院で多数を握り、各種の世論調査でも野党に勢いを示すような結果が出て来ないことから、弛緩した国会運営であっても何の問題もないと高を括っているのだろうが、2007年当時も、その段階ではまさかその後の総選挙で政権を譲り渡すなどとは予想もされていなかったことを忘れてはならない。小さな綻びでも、それがやがては大きな綻びとなり、政権からの転落にもつながるのである。
与党の数の力の前に為すすべがないというのが現在の野党の置かれた状況ではある。ただ、野党は現状を悲観するのではなく、国会であらゆる手段を用いて与党に対抗していくべきだろう。2007年の臨時国会は参議院で野党が与党を上回る議席数を保持していたということもあるが、主に参議院を舞台にして野党は議案の提出や審議での徹底した追及により、与党に対峙していた。それが国会での緊張感を生み、ひいては政権交代につながっていったのだ。
既に、問題となっている入管法改正に対しては、国民民主党が対案を提示している。
2007年の臨時国会のような状況が再び招来すると安易に考えるべきではないが、野党は対案を出し続けるなど地道に行うことで、その道を切り拓いていく必要があるだろう。