霞が関から見た永田町

霞が関と永田町に関係する情報を、霞が関の視点で収集して発信しています。

MENU

1年前の安倍総理の空疎な発言を思い出そう

 

 

 

去年9月28日は衆議院解散の日

 

 一年は早いもので、昨年の9月28日は、衆議院が解散された日。その前の25日には安倍総理が記者会見で解散することを表明し、その場で臨時国会冒頭で行う解散を「国難突破解散」とした。

 

 ひるがえって今年は、安倍総理が自民党総裁の3選を果たし、10月2日に内閣改造が行われる。


 長期政権となった安倍内閣だが、あまり長くやっている様に感じさせないところがあるのは、そのような選挙や内閣改造のサイクルの速さも要因になっているような気もする。

 

 

一年前、安倍総理が語っていたこと

 

 さて、すっかり忘れ去ってしまったように思うが、昨年の9月25日の安倍総理の記者会見では、大変重要なことが語られていた。

 

www.kantei.go.jp

 

 

 まずは、安倍政権として推進すべきこととして、生産性革命と人づくり革命をあげていた。この二つについては、本当の意味で実現したのかと言うと甚だ疑問ではあるが、先の国会で関連する法案が成立した。


 ここまでは良いとして、安倍総理は、こう言っている。

 

「我が国の社会保障制度を全世代型へと大きく転換します。」

 

 このあたりになると、首をかしげたくなる。社会保障制度の改革について本当に手を付けたのだろうかと。
 さらに、こんな言葉も続く。

 

 「2020年度のプライマリーバランス黒字化目標の達成は、困難となります。しかし、安倍政権は財政再建の旗を降ろすことはありません。」

 

 その姿勢は正しいのかもしれないが、既に掛け声だけのような状況にあると思うが、どうなのだろうか。

 

 その他、いまや当時の安倍総理の認識では追いつけない問題となってしまったことまである。それが北朝鮮問題だ。
 昨年の安倍総理の言葉は、こんな調子だ。
「我が国を飛び越える弾道ミサイルの相次ぐ発射、核実験の強行、北朝鮮による挑発はどんどんエスカレートし、その脅威は正に現実のものとなっています。」

 

 これも当時としては正鵠を射ていたのかもしれないが、今そのまま聞いたとしたら、少々ズレた発言に聞こえよう。むしろ、一人で危機を煽っていたのではないかと邪推されないとも限らない。

 

 空疎に聞こえるこんな言葉もある。

 

 「拉致問題の解決に向けて、国際社会でリーダーシップを発揮し、全力を尽くしてまいります。」

 

 果たして、拉致問題に対して、この一年間で、安倍総理は自身の言葉に忠実に行動してきたのだろうか。

 

 

国難も疑惑も一年で消えたのか

 

 昨年9月の解散にあたっての安倍総理の記者会見での冒頭発言は、次の言葉で締め括られる。

 

 「この解散は、国難突破解散であります。急速に進む少子高齢化を克服し、我が国の未来を開く。北朝鮮の脅威に対して、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。この国難とも呼ぶべき問題を、私は全身全霊を傾け、国民の皆様と共に突破していく決意であります。」

 

 北朝鮮問題は、むしろ日本は蚊帳の外に置かれるようなかたちで、急速にその様相を変化させている。
 安倍総理の一年前の意気込み。それ自体、立派なものだとは思うが、1年経過した現在、その言葉の端々を再度確認すると、随分と近視眼的に「国難」などと叫んでしまったものだと嘆息する。

 

 加えて、これは何度となく引用された言葉だが、次のようなことも安倍総理は発言している。

 

 「さきの国会では、森友学園への国有地売却の件、加計学園による獣医学部の新設などが議論となり、国民の皆様から大きな不信を招きました。私自身、閉会中審査に出席するなど、丁寧に説明する努力を重ねてまいりました。今後ともその考えに変わりはありません。」

 

 今のこの段階に至っても、丁寧な説明はなされていない。それどころか、総裁選の最中、日本記者クラブが主催する討論会で、石破氏からこの問題について質問を向けられた際には、「私の妻や私の友人が関わってきたことでございますから、国民の皆さまが疑念を持つ。」などと、しれっと言ってのけたが、「私や私の妻が関わっていたら、総理どころか議員を辞める」という国会での答弁はどこへいってしまったのだろうか。

 

 結局のところ、国難とされたことには向き合わず、そうこうしているうちに、その国難の様相は変化した。そして、疑惑は疑惑のまま残すことで、時間の経過により有耶無耶にされた。

 

 1年前の解散にあたっての記者会見は、後の総選挙で自民党が勝利したことも考え合わせれば、安倍総理の意気込みを見せるという意味で成功だったのかもしれない。しかし、今思い返してみると、怪しい前提があったり、空疎な言葉もあったりと、トンデモなものであったように思えてならない。
 総選挙になるという、ある種の熱狂の中で、見落とされてしまったのかもしれないが、あらためて一年経過した今こそ、当時の安倍総理の言葉を再確認しておきたいところだ。

 

 先日のロシアのプーチン大統領とのやりとりにも象徴されるように、安倍総理は目の前を繕うために空疎な言葉を繰り過ぎる。