予算案の衆院通過
平成31年度一般会計予算が衆議院を通過した。最終局面では、根本厚生労働大臣に対する不信任決議案を出すなど野党は抵抗も見せたが、数に勝る与党が押し切るかたちとなった。
憲法により衆議院の優越が定められている。そのため、この後に参議院で紛糾したとしても、衆議院可決後30日間が経過すれば、衆議院を通過した予算案は国会としての議決となる。
今回、予算案は3月2日未明に衆議院本会議で可決され、参議院に送られた。これにより、年度内成立が確定したことになる。
国会における日程闘争の件については、先日苦言を呈したところだ。
通常国会前半の与野党間の日程闘争は、予算の年度内成立をめぐって繰り広げられていたと言える。予算の年度内成立が確定的になったことから、日程闘争も一段落と言ったところだろう。
予算案はいつ衆議院を通過してきたのか
ここで、2000年以降の予算案の衆議院通過日を一覧にしてみた。
表 予算案の衆院通過日の一覧
年度 |
衆院通過 |
備考 |
2018 |
2月28日 |
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2017 |
2月27日 |
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2016 |
3月1日 |
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2015 |
3月13日 |
暫定予算を編成 |
2014 |
2月28日 |
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2013 |
4月16日 |
暫定予算を編成 |
2012 |
3月8日 |
参院否決 |
2011 |
3月1日 |
参院否決 |
2010 |
3月2日 |
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2009 |
2月27日 |
参院否決 |
2008 |
2月29日 |
参院否決 |
2007 |
3月3日 |
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2006 |
3月2日 |
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2005 |
3月2日 |
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2004 |
3月5日 |
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2003 |
3月4日 |
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2002 |
3月6日 |
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2001 |
3月2日 |
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2000 |
2月29日 |
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まず、備考に記載がある年度から、少し説明を加えたい。
2013年度は、2000年以降では例外的に年度内に予算が成立しなかった年である。そのようなことが起きたのは、2012年末の総選挙の結果、自民党と公明党が民主党から政権を奪還したからである。政権交代が起きたことから、新たに予算案を編成し直すことになり、2013年は初めから予算案の国会での審議が遅れた。その結果、2013年4月の新年度開始時にその年度の予算が成立しておらず、暫定予算を編成して凌ぐということが行われたのである。そして、2013年度予算は4月16日にようやく衆議院を通過するということになったのである。
2015年度も暫定予算が組まれた年である。この時は、2014年12月に総選挙があったことが大きく影響している。総選挙の結果も受けて、補正予算の編成が予定されており、2015年1月の通常国会召集の段階で、年度内の予算成立が危ぶまれていた。
実際に、予算案の衆議院の通過は3月も半ばになってからとなり、参議院での成立も遅れることになった。そのため、この時にも暫定予算が組まれている。
いずれも総選挙が影響して予算編成が遅れた事例と言える。衆議院の過半数を与党がおさえていたにもかかわらず、予算の成立が年度を跨いでしまったという稀有な事例である。
その他に、四度の参院否決というものがある。これは国会がねじれ状態にあったことにより生じたものである。つまり、衆議院の多数派と参議院の多数派が異なっていたことにより、衆議院で可決された案が参議院では否決されたということである。
2008年と2009年は、衆議院の多数派は主に自民党と公明党、参議院の多数派は民主党などの野党であった。対して、2011年と2012年は、衆議院の多数派は主に民主党、参議院の多数派は自民党や公明党などの野党であった。
それぞれ、野党が参議院で予算案を否決したということだ。
現在は、立憲民主党などの野党が日程闘争を繰り広げているわけだが、自民党や公明党も野党の際には日程闘争を繰り広げ、参議院で多数派を占めていた際には予算案を否決するということを行っていたのである。
与党の余裕のなさの表れ
ここで注目して欲しいのは、2007年よりも前である。
2000年を除くと、予算案が衆議院を通過したのは3月になってからである。なかには、衆議院可決後30日間を待っていると4月1日を越えてしまうケースもあったことが分かる。ただ、それらの年度も参議院において3月中に予算案は可決され、4月の新年度に予算が成立していないという事態が起きることはなかった。
これが何を意味するのかというと、当時も与野党で日程闘争を繰り広げていたが、こと衆議院の日程については与党が野党に配慮を見せていたということである。参議院の審議日程が少々厳しくなっても、衆議院では野党に譲る。そういうことが行われていたのである。
それは与党が安定的に参議院での議席を確保していた故に可能になったことではある。議席数を背景に、野党に譲る余裕が当時の与党にはあったということだ。
ひるがえって、ねじれ国会の結果として参議院での予算案の否決が見られるようになって以降、予算の年度内成立をかけた日程闘争が激化している。政権交代の緊張感が日程闘争を招来させているとも言えるだろう。
特に第二次安倍政権下では、暫定予算を組むことになった年度以外は、予算の年度内成立が確実となるように、3月2日までに予算案を衆議院通過させている。この日程を与党がこだわるあまり、余計に野党も日程闘争に力を入れがちになる。
かつてのように与党が野党に譲る余裕を見せられなくなっている。ここ最近の日程闘争の激化の裏には、そんな厳しい与党のあり方が透けて見えるところだ。