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岩手県知事選挙 野党4党の推す達増氏が圧勝

 

 

 

達増氏、トリプルスコアに迫る圧勝

 

 9日に投開票のあった岩手県知事選挙は、立憲民主、国民民主、共産、社民の野党4党から推薦を受けた現職の達増拓也氏が自民党と公明党県本部から推薦を受けた及川敦氏を破って当選した。
 達増氏が約40万2千票、及川氏が約15万6千票という大差がついた。達増氏の得票率は7割を超えており、広範な支持を得ての勝利ということになろう。

 

www.nhk.or.jp

 

 

 岩手県知事選挙は、前回は無投票だった。それくらい、達増氏が強力な支持を得ているということになるが、対立候補は自民党と公明党の県組織が推薦する及川氏のみで一騎打ちとなった。さらには、旧岩手3区から民主党の衆議院議員として選出されていた黄川田徹氏が知事選挙直前に及川氏の応援に回るということまであった。
 それでも、結果は達増氏の圧勝だったのだから、達増氏の強さが際立つとともに、自民党と公明党の退潮も見て取れるのではないだろうか。それぐらい衝撃的な大差がついての達増氏の勝利であった。

 

 

黄川田氏の寝返りは功を奏せず

 

 ところで、今回、自民党側に寝返ったかたちとなった黄川田氏は、直前まで立憲民主党の県連顧問を務めていた。及川氏の応援に入ったことから、立憲民主党の県連顧問の辞職届を提出して受理されているが、ここには、根深い問題がある。
 もともと黄川田氏は旧岩手3区選出の衆議院議員を6期務めており、小沢一郎氏の側近としても知られていた。しかし、震災を機に、黄川田氏は小沢氏とは袂を分けた。その後、岩手県の選挙区が4から3に変更になり、新たな岩手3区からは小沢氏が立候補することになり、黄川田氏は引退することになった。
 その後、黄川田氏は国民民主党の結成に参加した。そして、先日の参議院議員選挙の候補者選定で国民民主党は黄川田氏の擁立を主張するも、小沢氏の自由党が横澤高徳氏の擁立を決定し、候補者調整がつかないまま、国民民主党と自由党が合併。その結果、黄川田氏の擁立断念が決定され、それに伴い、黄川田氏は国民民主党を離党して立憲民主党に入党していた。
 この黄川田氏の動向が野党の国政選挙における岩手県内の候補者調整に大きな影を落としていたわけだが、黄川田氏が自民党側に寝返ってしまった以上、この問題はほぼ解消されたと言えるだろう。
 しかも、黄川田氏が応援に回ったにもかかわらず、及川氏は票を伸ばすことが出来なかった。例えば、黄川田氏が地盤とする陸前高田市の結果は以下のとおりである。

 

 達増拓也 9,437票(74.8%)
 及川敦  3,184票(25.2%)

 

 達増氏の得票率は全県で約72%だったので、それよりも陸前高田市の方が高い。黄川田氏の応援が及川氏には何の足しにもなっていなかったと言えそうだ。

 

 黄川田氏が及川氏の応援に回ったことを伝えた河北新報の新聞記事では、次のように自民党関係者のコメントが紹介されている。
 「敵陣の一角を崩した及川氏の選対幹部は「間違いなくプラスになる。特に県南部での集票が期待できる」と笑みを浮かべた。」

 

www.kahoku.co.jp

 

 目論見は大きく外れ、県南部での集票にはまったくつながっておらず、達増氏は県南部でも及川氏を圧倒しているのだ。
 黄川田氏の政治生命はこれにて尽きたと言って良いのではないだろうか。

 

 

県知事選挙での野党の連勝

 

 これで、先日の埼玉県知事選挙に続いて野党が推す候補者が与党の推す候補者を破るかたちとなった。いずれも野党が一致して支援する候補者が勝利しており、いわゆる野党共闘には一定の意義があることが確かめられたことになるだろう。
 もちろん、安易な共闘は避けるべきだが、一致すれば、それだけ野党にも力があるということであり、一致出来る時には積極的に共闘を図っていくべきと言えるだろう。

 

 知事選挙はこのまま辞職などの予定外のことが起きない限り、年内は高知県でのそれを残すのみである。
 現職の尾崎知事は国政への転出を目指して、来る高知県知事選挙での不出馬を決めている。よって、次の高知県知事選挙は新人候補による戦いとなる。
 既に総務省を辞職した浜田省司氏が現職の尾崎知事の継承を掲げて立候補を表明している。

 

www.nikkei.com

 

 対して、野党側は統一候補の擁立を模索している。

 

mainichi.jp

 

 知事選挙での連勝の勢いを継続できるのか。野党の候補者選定と選挙運動の展開に注目したいところである。