霞が関から見た永田町

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国民民主党と自由党の合流 令和最初の新党・国民民主党に期待するもの

 

 

 

やっと、と言っていいだろう。玉木雄一郎代表率いる国民民主党と、小沢共同代表率いる自由党が、両党合併に関する合意文書に署名した。平成も終わりを告げる、4月26日未明の話だ。基本政策や規約、組織などは国民民主党のものを継承し、党名もそのまま、「国民民主党」。

 

国民民主党と自由党の合流により、所属国会議員は衆議院で40人、参議院で24人、合計64人の所帯となる見込みだ。自由党の山本太郎共同代表は既に離党の意向を示しており、この64人には含まれない。

 

 

永田町の空気は確かに厳しいが・・・・

 

永田町を取り巻く空気を見ると、この新しい船出には厳しい未来が待っているように思えるが、果たして本当にそうだろうか、というのが本稿の論旨だ。

 

まず、厳しい情勢から振り返ってみよう。まず、両党合流の大きな障壁となっていた参院岩手選挙区の候補者調整。玉木代表の尽力によりなんとか調整がついたものの、小沢氏と同じ岩手選出の階猛氏など合流反対派は懸念を示した。事実、26日未明に開かれた両院議員総会では7時間近く議論の時間を要している。そしてメディアの取材に対して、階氏は「党を離れるか、他の選択肢があるか、みんなで話し合って決めたい」と答えている。

 

一方、他の野党もこの合流には冷ややかだ。立憲民主党の枝野氏は参議院の1人区の候補者一本化について「各党の事情があり難しい」という姿勢を崩していない。

 

 

小沢アレルギーの正体

 

統一地方選挙と参議院選挙が同じ年に重なる、亥年は過去、様々な政治ドラマを生んできたが、衆参同日選挙もささやかれ始めた2019年は過去に比して、自民党を追い込むだけのエネルギーが野党に溜まっているようには見えない。

 

まさに内憂外患とも言える状況の中での、新生・国民民主党の船出である。こうした永田町を取り巻く空気を見ていて、改めて思うのは「小沢一郎」なるものへのアレルギー反応である。それはかつても、民由合併の際に「一兵卒として頑張る」といった小沢氏が気づけば、権謀術数渦巻く政治の世界で力を持ち、幹事長へ返り咲き、様々、煮え湯を飲まされた記憶が旧民主党の議員の中に数多くいるからだろう。

 

 

ナイーブな野党各党

 

外野から見れば、あのとき、小沢氏の力を借りていなければ、2009年の政権交代など起こり得なかったと思うし、ネガティブな側面もあるものの、総合的に見れば、あの時の民由合併は間違っていなかっただろう。

 

そう考えると小沢アレルギーは立憲にしろ、国民にしろ、あまりにナイーブに過ぎる気がするし、そのナイーブさゆえ、政権交代など夢のまた夢に見えてしまう。

 

そうした過去の事情も永田町での受け止め方も全部分かった上で、自由党との合流を選んだ玉木代表の胆力を評価する声は今のところ、聞こえてこない。しかし、本来注目すべきは玉木代表の胆力、だろう。どう考えても小沢氏へのアレルギーがあることも、場合によっては党を離れる議員が出てしまうことも、もう一つの旧民主党である立憲がコミュニケーションを拒絶することも、どれも想定の範囲の話だ。

 

 

玉木代表の胆力に注目

 

それを分かった上で、合流という道を選んだ玉木代表。その先の未来に何を展望するのかは、今のところ、まだ語られていないが、その胆力を内外に示していくことで、新生・国民民主党の未来は切り開かれるだろう。

 

確かに過去を振り返れば、小沢氏の壊し屋の異名に相応しい足跡かもしれない。一方で、彼の年齢を考えれば、そろそろ、ここら辺が潮時とも言える。政治家たるもの、後世に何を残せたか、が全てだ。ましてや自民党で田中角栄の薫陶を受けたものならば、骨の髄まで沁みついているところだろう。今、ここで小沢氏がやるべきはかつての失敗を振り返り、今後は真に自民党に対峙し得る、もう一つの保守政党を作り上げることだ。それを小沢氏が分かっているとすれば、今回の新生・国民民主党は世間の評判を覆して、あっと言わせる未来を作り出すに違いない。