霞が関から見た永田町

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夏の異常気象に思う、これからの公共事業のあり方

 

 

 

「長野県飯田市で猛烈な雨、記録的短時間大雨」(8/12)、「高松市付近で約90ミリの猛烈な雨」(8/12)、「岐阜県に記録的短時間大雨情報」(8/12)、「栃木県に記録的短時間大雨情報、宇都宮などで1時間に120ミリ」(8/10)、「山梨県で約100ミリ、記録的短時間大雨」(7/31)。

 

「記録的短時間大雨」とは、気象庁が発表する情報で、大雨警報発表中に数年に一回程度しか起こらないような1時間に100ミリ前後の猛烈な雨が降ることを指す。記録的短時間大雨で検索すると、冒頭の通りで、連日のように日本のどこかで短時間のうちに局地的に大雨が降るという事態が発生していることになる。

 

 

夏の異常気象に対応できていない日本の都市


明らかに日本の夏の気候が変わっている。今年の夏「も」明らかに異常だ。毎年、毎年、「過去最高の」という枕詞がつくようになって久しい。異常ではなく、日常となった感すらある。人間の生命さえ脅かしつつあるといっても過言ではない、夏の異常気象。昔だと真夏日があると「暑いな」と感じたわけだが、今では真夏日は当たり前で、猛暑日すら日常になりつつある。日本列島全体が熱くなり、海からの湿った風が陸に上がると、急速に雨雲を発達させて、大雨を降らせる。そういう中での記録的短時間大雨だ。

 

先日の広島県、岡山県を襲った豪雨を持ち出すまでもなく、こうした短時間豪雨が日常化しつつある今、公共事業のあり方は見直すタイミングに来ているかもしれない。それはなぜかというと、今の社会インフラは時間降雨100ミリを想定して作られていないからだ。

 

その代表的なインフラは下水道。覚えてるだろうか、2008年8月、ゲリラ豪雨によって豊島区雑司が谷で下水道工事中の作業員が流されるという事故が発生している。この時の時間雨量は60ミリだった。大量の雨水が下水管に流れ込み、6人の産業員が流され、5人が亡くなった。



生活を脅かしつつある夏の異常気象


2015年には鬼怒川流域を襲った記録的な豪雨により堤防が決壊、甚大な被害が生じた。夏の異常気象が常態化してしまったがゆえに、1つひとつのニュースがあっという間に過去のものとなり、記憶の彼方においやられているが、間違いなく、夏の異常気象は私たちの生活を脅かしつつある。

 

自治体にもよるが、都市部の下水道は時間降雨50ミリ〜60ミリを想定して設計されているため、ひとたび、記録的短時間大雨が降れば、その雨水は溢れ出す。さすがに東京都は2008年のゲリラ豪雨を受けて、雨水を一時的に逃がす地下貯留施設を建設し、時間降雨75ミリに備えつつある。しかし、それでも時間降雨75ミリ。今夏、連日ように報道されている記録的短時間大雨は時間降雨が100ミリ前後だ。

 

 

公共事業悪玉論を乗り越えて


日本はバブル崩壊後、赤字国債を急速な勢いで積み上げてきた。その対象は公共事業だった。そのため、1990年代以降、自由主義を標榜する経済学者を中心に、公共事業不要論が叫ばれ、「クマも通らない立派な道路」がテレビに流れ、国民にも公共事業に対する嫌悪が渦巻いた。確かに過去、政治家の懐に入ったのではないかと疑われても仕方ない公共事業があったのは事実だ。しかし、それはそれとして、毎年繰り返される夏の異常気象と、そのたびに都市機能が麻痺する現状を考えると、公共事業のあり方はそろそろ見直してもいいのではないだろうか。


どこに、何を整えるという個別の具体論に入る前に、新しい時代の公共事業のあり方、ビジョンこそ野党が示すと、存在感を示せるはずだ。当然、その中に公共事業をめぐる不正が起きない仕組みもセットで提案してほしい