柳瀬氏は官邸で加計学園関係者と3回面会した
5月10日の衆議院予算委員会で、柳瀬唯夫元首相秘書官は、自民党の後藤茂之議員や立憲民主党の長妻昭議員の質問に答えて、加計学園の関係者との面会が以下の三回あったとした。
2015年2月から3月頃:
2015年4月2日 :愛媛県や今治市の担当者が面会したとされる
2015年6月頃 :国家戦略特区への提案の報告
特に後藤議員は与党からの質問者であったこともあり、焦点となっていた4月2日の面会について、柳瀬氏は詳しく答えている。
その概要は以下のとおり。
・訪問者は10人近くの大勢
・加計学園の事務局に同行していた獣医学の専門家の元東大教授とされる人物が獣医学教育について熱弁
・メーンテーブルの真ん中にその元東大教授で座り、その人物と加計学園の関係者がもっぱら話をした
・来訪者と名刺交換はしたかもしれないが、手元には愛媛県や今治市の担当者の名刺は残っていない
先週の5月11日には、愛媛県の中村時広知事が面会時のやりとりの概要と柳瀬氏から職員が受け取った名刺を公開した。柳瀬氏の記憶からは抜け落ちているようだが、この2015年4月2日に愛媛県と今治市の担当者が官邸を訪れ、柳瀬氏と面会したのは間違いということだろう。
これだけであれば、柳瀬氏の説明に齟齬がないように見えるが、10日午後の参議院予算委員会での立憲民主党の蓮舫議員の質問時に、午前中の後藤議員の質問時とは異なる答弁を柳瀬氏は行っており、そこから齟齬の存在が示唆されるところとなっている。
蓮舫議員の質問に対して、柳瀬氏は元東大教授で現在は岡山理科大学獣医学部長を務めている吉川泰弘氏が同席したのが1回目か2回目の訪問時であると答えている。ここに齟齬があるのだ。
露呈した矛盾
蓮舫議員の質問に対する答弁のように、吉川氏の訪問が1回目でのものか2回目でのものか定かではないとすると、柳瀬氏が参考人招致にあたって描いてきたであろう全体のストーリーについて矛盾が露呈することになる。
というのも、自民党の後藤議員の質問に対する柳瀬氏の答弁にあったように、問題となっている2015年4月2日の面会時には吉川氏が熱弁をふるい、合わせて加計学園の関係者がもっぱら話しをしていたということにしないと、愛媛県や今治市の担当者は話をしなかったので彼らが面会に同席していたかどうか分からないというストーリーが成立しなくなるからだ。
2回目の面会である4月2日に吉川氏が陪席していなかったとすると、この日、柳瀬氏は誰とやりとりをしたのであろうか。まさか、吉川氏の亡霊が熱弁をふるったのであろうか。
むしろ、4月2日は、愛媛県と今治市の担当者が熱弁をふるい、それを柳瀬氏が聞き置いたということなのではないだろうか。
吉川氏が熱弁をふるったのが何回目の面会時であるのかは重要な論点になるが、蓮舫議員の質問に対して、1回目か2回目と柳瀬氏が答弁をぼやかしたため、報道でもそれに乗せられて、1回目か2回目に吉川氏が陪席したとして、そのまま報じてしまっている新聞があるくらいである。これでは柳瀬氏の答弁の矛盾を追及できない。
既に、吉川氏は先月4月24日に愛媛県議会地方創生・産業基盤強化特別委員会に参考人として出席し、その後の報道陣から受けた取材に対して、柳瀬氏との官邸の面会について「記憶にない。知らない」と答えている。
中村知事も5月11日の報道陣とのやりとりで、2015年4月2日の面会時に吉川氏は同席していなかったと答えている。
2015年4月2日に、吉川氏は官邸に訪れていないにもかかわらず、愛媛県や今治市の担当者が官邸に訪れたか否か判然としないとするために、柳瀬氏は虚偽の答弁をするしかなかったということなのではないだろうか。
策士策に溺れる
11日の衆議院予算委員会では、公明党の竹内議員の質問の冒頭で、2015年4月2日の面会時に熱弁をふるった元東京大学教授が吉川氏であったのか否か柳瀬氏に確認する場面があった。
柳瀬氏は、面会時には千葉の大学に勤めている元東京大学教授ということしか認識していなかったが、それが吉川泰弘氏であることが分かったのは半年ほど前にテレビニュースで岡山理科大学獣医学部長として吉川氏の映像が流れたことによると答えた。それを見て、あの時の元東京大学教授は吉川氏だったと確認したというのだ。
これは、柳瀬氏が官邸で人と会う際に、一人一人誰だか確認していないということを印象付けるために、あえて行った答弁だと思うが、これこそ策士策に溺れる典型と言えよう。
そもそも、柳瀬氏は加計学園の関係者との面会を認めているのであるから、その関係者に吉川氏が含まれているかどうか答える必要はない。自身に都合の悪いことは記憶にないと答えてきたのだから、加計学園の関係者も一人一人については誰だか把握していないと答えれば良かったのだ。
2015年4月2日に吉川氏が柳瀬氏と面会したかどうか、吉川氏自身と愛媛県は嘘をつく理由がない。対して、柳瀬氏には理由がある。それは、これまでの国会での柳瀬氏の答弁と矛盾しないよう、4月2日に愛媛県や今治市の担当者と面会したかどうかは記憶の限り判然としないとするためには、4月2日に訪問を受けた人物の存在を強調しなければならないからだ。
あえて、テレビニュースで見て吉川氏だと確認したというエピソードを作り出してまで、4月2日に吉川氏が熱弁をふるったとしなければならなかったということだ。そもそも、加計学園の関係者と面会したことを認めるのであれば、愛媛県や今治市の担当者についても同様に認めても問題ないはずである。それまでの国会での答弁との平仄を合わせるための強弁なのかもしれないが、ここで愛媛県や今治市の担当者と会っていましたと認めてしまえば、それで済む話である。むしろ、愛媛県や今治市の担当者に、2015年4月2日に面会したと言いたくない理由あるいは言ってはならない理由があると考えるべきだろう。
4月2日の愛媛県と今治市の訪問の意味
おそらく、こういうことだ。
2015年2月から3月頃:獣医学部新設のための方策を相談するための面会
→柳瀬氏より、国家戦略特区に申請するように指南される
2015年4月2日 :国家戦略特区申請にあたり、自治体の関係者との引き合せ
→申請に関する方向性について、柳瀬氏の確認を受ける
2015年6月頃 :国家戦略特区への提案の報告
→指南どおり、申請しましたという報告
三回、加計学園の関係者が官邸に柳瀬氏を尋ねたのには、以上のような流れがあったということなのではないだろうか。柳瀬氏の答弁では、前の2回の面会は加計学園の関係者が獣医学部新設の必要性を訴えかけるためのものであるかのような説明であった。そして、三回目の面会は国家戦略特区への申請をした旨の挨拶であったと説明した。それぞれ、特段のつながりのない訪問のような印象であったが、それは二回目の訪問から、自治体関係者の出席が消し去られたがゆえに抱く印象であったのだ。
柳瀬氏は加計学園の関係者に、その都度、アドホックに面会していたわけではなく、全体の流れの中で一回一回に意味のある面会を重ねていたということが示唆されるのである。
柳瀬氏は、加計学園の関係者らに対して、国家戦略特区の概要について説示しただけと答えていた。しかし、そうではなく、申請にあたっての協力を行っていたのではないだろうか。それ自体、特に問題はないという意見も現政権の支持者の間にはあるだろうが、行政が守るべき公平性を害する可能性がある行為を、こともあろうに首相秘書官が行っていたかもしれないとなると、国家戦略特区の各種プロセス全体につき、その公平性が疑われる事態になりかねない。特に、制度の特性上、一部の地域や事業につき特例を認めるというものである以上、そのプロセスにおける公平性は何としても確保しなければならないことであったことくらい、柳瀬氏は重々承知していたはずである。
国家戦略特区のプロセスに疑念が生じないよう、柳瀬氏はどうしても二回目の加計学園の関係者の訪問から自治体の担当者の存在を消したかったのではないだろうか。
問題の焦点は、柳瀬氏の発言や記憶の信憑性を越えて、国家戦略特区に関わる全プロセスの公平性に重大な疑念が生じているということに移っていると言えるだろう。
次に野党が求めるべきは、柳瀬氏と同席していたとされる各省庁の担当者の国会への招致ということになるだろう。