霞が関から見た永田町

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財務省は隠していた文書をなぜ公開したのか

 

 

 

破棄したはずの文書が国会に提出される

 

 2月9日に、森友学園への国有地売却問題にかかわり学園側との交渉について記した文書など20件、計300ページ以上から成る資料が財務省から国会に提出されたと報じられている。

 

昨年の国会でも再三にわたって取り上げられた森友学園の問題も今や世間の関心からは外れたものになってしまった。学園の前理事長の籠池夫妻は逮捕され、長期拘留されたまま。彼らからの新たな情報発信もなくなり、森友学園の問題が国会の審議で取り上げられても、木で鼻を括ったような答弁を安倍総理ら関係する大臣は繰り返し、財務省の官僚らも一目で虚偽と分かるような答弁を平然と行いながら、それで済まされてしまっている。深まらない議論と明らかにならない真相を前にして、世間の関心も失われつつあり、「結局、何も問題はなかった」「追及している野党の方がどうかしている」という声も聞かれるところで、そもそも森友学園問題自体が忘れ去られようとすらしている。

そういうときに、世の中の話題が平昌オリンピックに移ろうかというタイミングを見計らって、破棄したとされる文書が公開されたのである。

 

 

文書を公開しないことで、問題をうやむやにしていた

 

森友学園問題については、安倍総理や夫人の昭恵氏の関与が焦点となり、国会での野党の追及もその点に重点が置かれている。

 

昭恵氏が何度も森友学園に訪問し、その教育方針に強く賛同するという趣旨の講演を行い、昭恵氏付の政府職員が関係部署に問い合わせを行うなど、それだけで十分に「関与」していたと言えそうだが、森友学園と財務省などとの交渉記録の文書が公開されない中で、結局のところ「関与」の有無を確認することが出来ずにいた。そのような状況をもってして、安倍総理らは「関与が確かめられないので、関与はしていない」と逃げることが出来ていたとも言えよう。

 

しかし、少なくともある段階から、森友学園と国有地の売却について交渉をしていた近畿財務局の態度が変化したことはこれまでの国会審議でも明らかになっている。ただ、その交渉過程に関する資料が公開されなかったことから、どのような経緯で近畿財務局が態度を変えたのかが不明であった。

 

交渉過程に関する文書について、昨年の国会審議で、財務省の佐川宣寿理財局長(現:国税庁長官)は全て破棄したと繰り返し答弁していた。そのような中で、新たな文書が国会に提出されたわけであるが、今回提出された文書は破棄したと説明してきた交渉過程に関する文書ではないというのが財務省の見解である。しかし、そうであるのであれば、つまり破棄された交渉に関する文書でなく、省内に保存されていた文書であるのであれば、なぜ昨年の国会審議の際に公開しなかったのだろうか。廃棄されていないものを公開しなかったということは、それはその文書を隠したということと同義だ。事の真相の一部に関わるものであるならば、当然に公開されてしかるべきであったにもかかわらず、秘匿したということは、少なくとも政府にとって何か不都合な情報が含まれていたと見えるのが自然だろう。

 

昨年の国会審議で、あれだけ資料を探し出して公開せよと野党から要請されながら、頑なに拒み、あげくは破棄したとまで言っていた財務省。この姿勢が森友問題の真相解明を阻んできたのは間違いない。

 

 

では、なぜ今、公開されたのか

 

 交渉過程に関わるような文書であり、問題の真相解明のために公開を要請されながら、廃棄したとまで言って隠匿されてきた文書。では、なぜ、いま公開されることになったのだろうか。

 

 巷間言われるところでは、国税庁長官へ「栄転」した佐川氏への風当たりが確定申告の時期になって強くなっていることが理由としてあげられている。確かに、納税者に様々な書類の提出を求めながら、その責任者である国税庁の長官を務める人物が重要な文書を秘匿したことを評価されてその座に就いたとなれば、国民の理解も得にくいことだろう。ただ、そのような批判は昨年の段階からなされてきたことであり、そのような批判をされても、佐川氏を「適材適所」としてきたのが現政権である。さらに付け加えると、佐川氏のように理財局長から国税長官へ転出というのはこれまでもなされてきた人事であり、佐川氏が特別に優遇されたわけではなく、通常の人事を行っただけとも言える。

 

 よって、佐川国税庁長官の存在が今回の文書公開に直接つながったと見るのは正鵠を射ているようにも思えない。

 

 そもそも、今回国会に提出された文書はその中身がどのようなものであっても、秘匿したということそれ自体について関係者の責任が問われる可能性がある。国会に提出された際には、自民党の石井準一議員がこれまで文書を提出しなかったことについて「予算委員会の権威を傷つけるものである」と不快感を表明している。与党側にとっても、文書が秘匿されることは承服しがたいことであり、関係者の処分に発展する可能性もあるのだ。それでも財務省が文書を公開してきたということは、その裏側に何かがあると考えたくなるところだ。

 

 それを読み解くポイントは、麻生太郎財務大臣が承諾した上で、この文書の公開が行われていることにある。

 

少々穿った見方をすれば、麻生財務大臣は総理大臣の再登板を諦めておらず、次の総裁選挙でも盤石の体制を築きつつある安倍総理に対して、あえて足を引っ張るために文書を公開してきたということがありそうだ。問題の核心部分に触れるような文書は秘匿したままで、それでも森友問題についてあらためて国会で取り上げさせることが出来れば、財務省の責任は最小限に留めた上で、安倍総理の支持率を下げさせることが出来る。その利を得るのは野党ではなく、次の自民党総裁選挙で安倍総理に対抗したい候補であり、それが麻生大臣である可能性があるのだ。

 

また、財務省のある種の「反攻」と見ることも出来る。安倍総理の直接の関与はなかったとしても、昭恵夫人が関わっている可能性がある案件として財務省が忖度をした可能性は大いにあり得る。そうであるならば、財務省には、自分たちも籠池氏に騙された被害者であるという思いもあることだろう。籠池氏の背後に昭恵夫人がいると思い、無理を重ねたにも関わらず、風向きが悪くなった途端、梯子を外されるというのは承服しがたいことである。

 

佐川氏ら財務省の幹部も国会で虚偽と思われるような答弁などしたいとは思っていないはずで、それでも組織防衛のためには、文書は廃棄したといった無理な答弁を重ねるしかなかったのだ。そのような財務省内のやり切れない雰囲気を麻生大臣は察した上で、いわばガス抜きのために文書を公開して、安倍総理や昭恵夫人に軽いお灸を据えようとしたというのがもう一つの可能性である。この場合、あくまで森友学園問題の責任は財務省ではなく、財務省に忖度をさせた昭恵夫人や安倍総理にあるとすることを財務省が暗に表明しているとも言える。

 

さらに、財務省内の何者かが内部文書をリークしようとする動きがあった可能性も指摘出来るだろう。昨年の文部科学省の内部文書が何者かによってリークされ、その文書がきっかけとなって、様々なことが明るみに出ることになった。これには、前事務次官の前川氏の登場もあいまって世間を騒がせることになったが、同様のことが財務省でも起こらないとも限らない。森友問題に直接関係しているのか否かは別として、何らかの個人的な動機を持つ人物が文書を外部に流出させることもないわけではない。例えば、森友問題に関わる人物と出世競争をしている人物であれば、相手を蹴落とすために、文書をリークするということも有り得る。

 

もし佐川国税庁長官らに対して森友問題の責任が問われる事態になれば、佐川長官に限らず、昨年の森友問題に関する国会審議などで官房長として対応していた岡本薫明主計局長、さらには福田淳一事務次官や佐川氏の後任の理財局長の太田充氏にも塁が及ぶ。彼ら主要な幹部が責任を問われ、辞職になどに追い込まれるような事態は財務省としても避けたいところだろう。逆に彼らの失脚を願う勢力もないわけではなく、財務省内の権力闘争の一端が文書の公開というかたちで露わになったと言えるのかもしれない。

 

そのような動きを察知して、財務省として公開しても問題がない範囲の文書について先手を打って公開し、事の鎮静化を図ろうとした可能性もある。この場合、少し時間が経過した後に、リークをしようとした人物は通常の人事異動のようなかたちで閑職に追いやられるなどの処分を受けることになるはずだ。

 

 

省庁による文書の秘匿は国民への背信である

 

いずれにしても、省庁が文書を秘匿するのは国民への背信である。国民によって選ばれた国会議員の要請をなかば無視して、国会での答弁でも虚偽を重ねる。このようなことはあってはならないことだ。

 

森友問題の真相の解明とは別に、このように都合の悪い文書は何かと理由をつけて隠し、ほとぼりが冷めたころに何かのイベントの陰で静かに公開するという省庁の悪しき慣習についても、国会の場できちんと対応策について審議すべきである。