霞が関から見た永田町

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片山さつき大臣の遵法精神の欠如

 

 

 

後退を続ける片山大臣の立場

 

 11月21日の衆議院内閣委員会の中で、国民民主党の後藤祐一氏からの質問に答えるかたちで、片山さつき地方創生担当大臣は自身の書籍の広告看板が条例に基づく許可を得ていなかった時期があり、条例違反を犯していたことになることを認めた。

 

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 書籍の看板の存在が明らかになった当初は、片山大臣は看板の存在そのものを認識していなかったような素振りだった。しかし、複数の看板の存在が明らかになると、設置されていることは認め、それでも適法だとの認識を示していた。この時に問われていたのは公職選挙法の違反についてであったが、結局、各地の条例を持ち出されたことで、看板の設置場所の自治体の条例には違反していたことを認めるしかなくなってしまった。事実が明らかになるたび、その答弁が後退していったことになる。

 

 

看板の設置には制限がある

 

 公職選挙法では、政治活動や選挙活動に関わり、使用出来る看板などに制限を設けている。現職の政治家による書籍の宣伝を行う看板はそのグレーゾーンを突くもので、純粋に書籍そのものを宣伝するのであれば、公職選挙法に直ちに違反しているとは言い難い。ただ、そのような看板は政治家も費用をかけて設置しようとはしない。書籍の宣伝をするかたちを取りつつ、少しでも自身の宣伝を行い、選挙活動につなげてこそ、そのような看板を設置する意義があるのだ。
 もちろん、選挙期間外で、選挙活動そのものと受け取られる看板の設置は公職選挙法上、禁止されている。そのため、選挙をにおわせる様な文言は看板には書けない。ただ、現職議員であれば、自身の姿と名前を大きく掲げることで、ある程度、それを見た人に選挙を想起させることが出来る。実際、今回問題になった片山大臣の書籍宣伝の看板でも片山大臣の顔が大きく掲げられていた。
 それが本当に選挙での集票につながったのかは明らかではないが、片山さつきという議員の存在を一人でも多くの有権者に認知させるという意味では一定の効果はあったはずである。

 

 政治活動に関わる看板の設置は一定程度認められているが、これは別途選挙管理委員会に届出を行う必要があるケースもある。ただ、その確認を片山大臣が行っていた様子はない。街中に政治家の顔写真を大きく掲げたポスターが貼られているが、おそらく、片山大臣はそのポスターと同じ感覚で看板のことを考えていたのではないだろうか。
 片山大臣は、「普段、ポスターも貼っているし、書籍の宣伝の看板くらい問題ないだろう」と安易に考えていたように思えてならない。

 

 

遵法精神なき者が議員であってはならない

 

 政治家によるものかどうかは別にして看板の設置一般に関わる自治体の条例に違反していたことで、最後は片山大臣も非を認めざるを得なくなったが、そこには、遵法精神の欠片も見られないと言わざるを得ない。
 今回の看板の件に限らず、片山大臣のこれまでの言動を見ていると、「自分自身がルール」と誤解されている様子が垣間見える。間違いを指摘されると、自分は正しく、間違いを指摘した側が間違っていると言わんばかりの傲慢な応答を行う姿を私たちは目にしてきたのではないだろうか。それは、どこか安倍総理の言動にも似ている。

 

 議員は法律を制定することで、ルールを作る立場にある。そのような立場にあるからこそ、より一層の遵法精神が求められていると言える。ルールを作る側がルールを簡単に破っては、そのルールは誰も守らなくなるからだ。

 

 書籍の看板の件については条例違反を犯していたことを片山大臣はようやく認めた。しかし、これ以外にも法令違反の疑いが様々に報じられ、国会でも既に繰り返し質問をされている。数多くの法令違反を平然と犯しており、それを認めることを渋っているというのが現状だろう。
 順法精神を欠如した人物は、大臣はおろか、議員として失格であることは論をまたない。疑惑の追及で政権へ打撃を与え続けようなどと下心を持たず、正面から片山大臣の議員辞職を野党は迫っていくべきだろう。自分がルールだと思い、ルールを守るつもりのない人物が国会に占めるべき席はない。