国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退
日本政府が国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退方針を固めたと報道された。
25日にも正式表明される見通しだ。
1948年に設立されたIWC。日本は1951年に加盟した。以来、日本政府は捕鯨支持陣営のリーダ的な存在として活動してきたが、近年は反捕鯨国の数が捕鯨支持国およびに中間派の数を上回り、反捕鯨陣営が議論を支配するような状況にあった。反捕鯨陣営の狂信的としか思えない主張は年々急進的となり、状況の改善も見込めないことから、日本政府は脱退方針を固めたようだ。
脱退は年明けまでにIWC事務局に通知する必要があるので、現在は通知へ向けた準備を進めているということなのだろう。
立憲民主党や共産党からは、脱退方針に対して批判の声もあがっているが、国民民主党の玉木代表は政府の対応を支持するなど、野党の中でもその評価は分かれている。
この間の経緯を見ると、日本政府の脱退方針も致し方なしと言ったところ。玉木代表のように野党であっても政府の方針を支持する声をあげるのも理解出来る。
9月の段階で脱退が示唆されていた
IWCの総会は2年に1度開かれる。ここで捕鯨に関する議論がなされるのだが、その総会が今年9月にブラジルで行われた。
本年の総会で、日本政府は資源が豊富な鯨種に限っての商業捕鯨の再開とIWC総会での決議要件について一定の条件付緩和を提案していた。
商業捕鯨の再開に関する提案は説明不要だと思うが、後半の決議要件の条件緩和については説明が必要だろう。
IWCでは、商業捕鯨再開につながる捕獲枠の決定、あるいは捕鯨を禁じる禁漁区の設定といった重要な決定にあたっては、総会に参加した国の4分の3以上の賛成が必要とされる。現在、IWC加盟国は89カ国。採決を行う際には、捕鯨支持国が41、反捕鯨国が48に分かれるとされている。なかには中間派の国もあるので若干の変動の可能性はあるが、何らかの提案を行ったとして、4分の3以上の賛成を得るのは現状では難しい。そこで、日本はその要件を条件付きで過半数に緩和しようとの提案を行ったのである。
しかし、この提案自体が4分の3以上の賛成を得ることが出来ずに否決された。この否決を受けて、総会に出席した谷合正明農林副大臣(当時)が脱退も選択肢に含めて検討せざるをえないという趣旨の発言を行っている。この時から、日本のIWC脱退が視野に入っていたのである。
変質したIWCからの脱退
そもそもIWC設立時は、ほぼ全ての加盟国が捕鯨支持国であった。その設立趣旨に「鯨資源の保存及び捕鯨産業の秩序ある発展を図る」とあることからも、それはうかがえる。しかし、1960年代にイギリスなどヨーロッパ各国が捕鯨から撤退し、反捕鯨国が増え始めると、捕鯨国への風当たりが強くなり、1982年には商業捕鯨の一時停止が採択された。これを受けて、日本は1988年に商業捕鯨を中断している。その後、日本は調査のための捕鯨を続けているが、商業捕鯨の再開には至っていない。
1960年代以降にイギリスなど欧米各国で反捕鯨国が増加した一因として、環境保護団体の台頭がある。それら団体の熱心な活動により、「捕鯨=悪」という世論が欧米で形成され、反捕鯨国が増えているのである。そして、反捕鯨国は未加盟国に働きかけてIWC加盟を促し、反捕鯨国の数を増やしてきた。対する日本を代表とする捕鯨国も捕鯨に賛同しそうな国のIWC加盟を促してきたが、そうして加盟したラテンアメリカ諸国が捕鯨支持から反捕鯨に転じるなど、情勢としては反捕鯨国が優勢な状況が続いていた。いまや、IWCは反捕鯨国の数が捕鯨国の数を上回り、両者が対立するだけの場と化している。そういうなかでの日本の脱退ということになる。
再開される沿岸での捕鯨
IWCからの脱退により、日本がこれまで行ってきた南極海での調査捕鯨は出来なくなる。一方で、日本の排他的経済水域内での商業捕鯨は再開の見通しが立つ。
ただし、排他的経済水域内での捕鯨がどの程度行われることになるのかは不透明である。そもそも、沿岸での捕鯨を行うにも、かつてのような操業規模はそれを実現する能力もない。さらに、日本でも発効されている国連海洋法条約の制限を受けることもあり、無制限に捕鯨が行えるわけでもない。実際には、細々と一部の地域で捕鯨を行うことになるのだろう。
もちろん、自らの主義主張を妄信的に信じる一部の環境保護団体は今後も日本に訪れて反対運動や妨害活動を行うことになるだろう。ただ、捕鯨は日本の伝統であり、鯨肉を食するのは日本の食文化のひとつである。国際的な協調と自国の伝統と文化の維持。両者のバランスを図りつつ、日本政府として毅然とした態度を表明して欲しいところだ。