霞が関から見た永田町

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日本の大学は世界との競争に打ち勝てるのか

 

 

 

200年前の大学にも通ずる現代の姿

 

大学というのはいつの時代も、国家との距離感に悩まされていたらしい。

 

19世紀の幕が開けたばかり、約200年前のドイツでのちにベルリン大学の神学部長に就くフリードリヒ・シュライエルマハーは、実用主義化するフランス・ナポレオン政権下による大学政策に対抗するものとして文書を発表している。

 

「当時のフランスでは、ナポレオンが大学を総合技術専門学校化する文教令をだし、ドイツでもそれに賛同するような風潮が起こり始めていた。それに対し、シュライエルマハーは、学問が国家と癒着することを厳しく戒める」(中央公論新社、哲学の歴史7)。

 

この本によれば、シュライエルマハーは、「一般に学者が国家に取り込まれれば取り込まれるほど、学問共同体は国家の御用機関に堕し、学問共同体は純粋に学問的な思索を追究すればするほど、結果的に国家の質は高まる」といった考えを述べていたという。

 

 

世界大学ランキング。日本は東大と京大がランクイン

 

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国家と大学の関係とは、洋の東西、時の古今を問わずに振り子のようにいったり来たりしているのだとすると実に興味深い。

 

今月、イギリスの教育専門誌タイムズハイヤーエデュケーション(THE)が毎年恒例の世界大学ランキングを発表した。

 

日本からは東京大学(36位)と京都大学(65位)の2校がトップ200以内にランクイン。全体のランキングに日本の大学は110校がランクインして2位となった。1位はアメリカで172校、3位はイギリスで100校となっている。

 

近年特に国内の各大学は、この大学ランキングの結果を強く意識しており、大学ランキング発表とともに、ランクインをプレスリリースする大学は多い。

 

世界第2位といえば聞こえはいいが、その内容は手放しで喜べるものでもない。まず昨年と同じ顔ぶれとなったトップ10には、アメリカが7校、イギリスが3校ランクインし、オックスフォード大学が昨年に続いてトップを飾り、ケンブリッジ大学は昨年の2位からランクを下げたが3位に踏みとどまった。

 

THE日本語版の分析によると、トップ200の顔ぶれは、イギリスは28校。中国7校、韓国6校、香港5校とアジア各国との差が見受けられ、さらに、シンガポールは2校がトップ50にランクインしているという。

 

これについて大学ランキングでは「日本の大学の多くは産業界からの収入(知の移転)や被引用論文(研究影響力)のスコアが高い一方、国際性が低く、それがランキング上位に食い込めない要因」と分析しており、日本の大学の置かれた環境を浮き彫りにした結果となっている。

 

 

日本の産学連携はまだまだ発展途上

 

産業界からの収入のスコアが高いという評価があったが、国内大学と海外の大学では、共同研究契約で発生する研究費は日本の10倍以上もの開きがある。国内の共同研究契約の相場は200万円前後と言われるので、海外の一流大学の現場では桁違いの金額がやり取りされているのである。

 

政府は、「2025年までに大学・研究開発法人等に対する企業の投資額を2014年の水準の3倍とすることを目指す」ことを目標に掲げているが、それでもなお世界との開きがあるというのが実情だ。

 

かつて実用主義化が進むフランスに対抗したドイツの大学は、今日に至る大学の原型になったとされるが、19世紀から200年の時を経て、大学を取り巻く環境は、また改めて実用主義的な面に戻ってきたのかもしれない。

 

大学ランキングで日本トップの東京大学(36位)よりも上位にランクインしたアジアの大学は、中国の清華大(23位)、北京大(24位)、シンガポールのシンガポール国立大(25位)、香港の香港大(35位)と続いた。

 

奇しくも、アメリカに対抗する大国中国の大学がアジアトップを飾った。さらには、2019年4月から日本では特定の職業のプロフェッショナルになるために必要な知識・理論、そして実践的なスキルの両方を身に付けるとする「専門職大学」がスタートを切ったばかりだ。もちろん、大学ランキングにランクインするような大学群とは一線を画するが、あえてわかりやすくいえば「大学」が学問側によるのか、実用側によるのか、社会が求める大学の役割には少なからず変化が生じている。

 

 

産業界の要請に応えられる大学は必要か

 

2019年4月に京都学園大学から名称変更し再スタートを切った京都先端科学大学は、日本電産の代表取締役会長、永守重信氏が理事長を務める大学として知られる。これまでの大学教育に対して強い不満を示し、現代の大学の「偏差値とブランド主義」を批判して、永守氏が考える産業界に必要な人材を輩出するための大学づくりを掲げる。

 

すでに同様の大学はいくつもあるが、より一層産業界あるいは産業界出身者による大学運営の実例が増えていくかどうか。大学の果たすべき役割を問う時代が到来しているといえよう。

 

少子化に伴う18歳人口の減少によって、800校近く存在する国内大学の学生集めは激しくなっている。さらにこれからは、世界の大学との競争にさらされていく。優秀な学生は、アジアや世界の大学を選択できるようになるし、その結果、国内のいわゆる偏差値上位校へ入学する人材にも変化が及ぶようになる。国際性という点でも遅れをとるのも確かにその通り。キャンパス内の掲示が多言語化しても、学生向けの案内文書や学内文書の英語化もままならない。大学によっては職制などの英語表記も定まっていないところも少なく無い。

 

高等教育機関の研究力の質向上は、同時に国力の向上にも結びつく。シュライエルマハーは、学問が国家の質の向上に結びつくことを否定はしていなかった。

 

Society5.0の実現に向けて政府は、オープンイノベーションの重要性を説いている。大学がその主要プレーヤーになることは紛れも無い事実。学問の独立と国家戦略を両輪にどこまで伸ばしていくことができるのだろうか。政治に求められる役割は非常に多い。