霞が関から見た永田町

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「意味ある」再合流実現のチャンスとするべき

 

 

 

参院選も終わり8月。選挙結果を受けた政局の話題がやはりメディアを賑わせている。

 

政策でこそ政治の現場は評価されてしかるべき、とはいうものの、やはり議場も数次第。強い与党に対峙し、政策の実現、政権の樹立を目指す野党にとって「大きな塊」の模索は避けて通れない。

 

7月の参議院議員選挙後に、参院で日本維新の会との統一会派を構想するニュースが報じられたが、次いでは一転、立憲民主党から衆院での会派合流の打診のニュースも伝えられた。まさに野党内におけるキャスティングボートを国民民主党が握っている証左とも言える。

 

 

元の鞘に収まるという選択肢も

 

そのことを物語る一つが、立憲民主党の枝野代表が持ちかけた会派合流である。そもそも、立憲民主党設立から再結集を真っ向から否定してきたの当の枝野代表その人だ。その枝野代表が、参院選後に国民民主党に話を持ちかけたことは実に象徴的と言える。

 

しかし、その条件には統一会派ではなく会派に合流すること。さらには原発ゼロなどの政策面での「踏み絵」が揃っていた。この動きには、むしろ飲めない条件を示したということで、立憲側に主導権を握りたい思惑があったり、そもそも難しい条件を示すことで国民民主党内を揺さぶる狙いがあったともされる。

 

当然のことながら、国民民主党内でも反発する声は多く、支持団体である電力総連がある以上、容易に原発ゼロと口にすることはできない。ましてや衆院だけの会派合流では、参院における国民民主党議員の立場が曖昧になってしまう。

 

そうした背景を理解しつつも、"野党第一党"の代表である枝野代表としては、対等ではなくあくまでも上下の力関係を誇示したかったのかもしれない。

 

 

国民民主党の立ち位置は悪くない

 

これに対して国民民主党が、統一会派を逆提案できたのもまさにキャスティングボートを誰が握っているのかが明確だから。

 

「分断工作」ではないかと訝しむ声もある立憲民主党からの誘いがいかなるものであっても、国民民主党内がぶれることなく参院選で示した公約の実現に向けて前進することが何より大切。

 

そのために、どのような「大きな塊」を作るかを玉木代表を先頭に議論を重ね、実現への道を歩むことが肝心だ。この立ち位置、決して居心地の悪いものではない。
立憲民主党としては、視線の先にれいわ新選組との連携も見据えているだろうが、れいわは次期衆院選では100人の候補者を擁立する方針を掲げているので、立憲との選挙区調整も起こりうる。未だ連携が実現できていない現時点での枠組みでは、その調整やその先の立憲とれいわ連携の是非に国民民主党が口を挟む余地はない。しかし、これがキャスティングボートを握った国民民主党が立憲と連携していれば、そうした動きを牽制する余地も生まれてくるはずだ。

 

 

様々な政局をも実現できる可能性がある

 

繰り返しになるが参院選の結果、国民民主党は野党内においてキャスティングボートを握る立ち位置を手に入れたので、イデオロギー色の濃すぎる原発ゼロ政策や改憲論議の封殺といった左派勢力の動きを巧みに制しつつ、国民生活に責任ある野党の振る舞いを打ち出せる。こんな政党は今、国民民主党以外にない。

 

このゆく道の先に、玉木代表が掲げてきた「大きな塊」が誕生するとして、かつての民主党政権に名を連ねた面々が嬉々として再登板されては困るというのが国民感情だろう。そういった意味では、民主党分裂末期に代表選に挑戦した玉木代表には、彼らとは異なるフレッシュな野党像を象徴するアイコンになりうる人物として大きな存在価値を発揮できる数少ない人材だ。

 

選挙後に玉木代表が語った「私は生まれ変わった」という言葉が誤解されて広まってしまったが、野党党首に相応しい、ビジョンと責任に裏打ちされた発言だった。

たとえ野党内の小さな争いに映ろうとも、健全な野党を標榜する国民民主党と玉木代表のその志がぶれる必要は全くない。そうした形での生まれ変わりこそ国民が待ち望むものである。

 

多少の批判などは気にせず、国民民主党が描く「大きな塊」を示せるよう党内議論を尽くし、国民民主党が一丸となって野党結集に注力してもらいたい。

これから年末に向かって、まだまだ政局がらみの報道は起こりうる。その時こそ愚直に日々の活動を通じて国民に訴えかけ続ける国民民主党の存在感が際立つ機会が出てくるはず。短期的な政局ためとは言わないが、政局の波に飲まれてしまわぬ足腰の強い野党として、さらなる活躍を国民は求めているはずだ。