22日に恩赦を実施
22日の即位礼に合わせて、恩赦が実施される。
その概要は、法務省Webサイトにおいて公表されているので、確認して欲しい。
一見したところ、分かり難いところもあるかと思うが、ポイントは「恩赦の種類を復権のみに限定(大赦及び減刑は行わない)」という部分である。大赦や減刑は行わないということなので、服役している者が出所するといったようなことにはならない。「復権のみに限定」ということなので、例えば、選挙違反で公民権停止されている場合などで、その停止された資格が回復されるということである。
今回の恩赦の対象人数は約55万人とされている。
ただ、実際のところ、対象になった人が大きな実感をもって恩赦の対象になったということはあまりないかもしれない。と言うのも、例えば、罰金刑を受けると医師や看護師の国家資格を取得する権利が5年間停止されるところ、今回の恩赦でその権利が回復することになるわけだが、実際に、権利を回復したからといって直ぐにそれら国家資格を取得しようとする人はそう多くないはずだからだ。
国民感情を踏まえて、恩赦の対象を限定したということなのだろう。実態として、恩赦はすれども、それ自体の影響のようなものは限定的かもしれない。
もちろん、国民感情を考えると、恩赦それ自体に対する拒否反応は強い。「なぜ慶事にあたって、犯罪を犯した者にだけ恩恵が受けるのか」という疑問は当然のように覚えるところだ。
国民感情を無視した恩赦
今回の恩赦、国民感情を踏まえて、その対象を制限したということは見て取れる。しかし、国民感情に配慮するのであれば、恩赦を実施しないという選択肢はなかったのだろうか。
そもそも、「これこれの場合には恩赦を実施しなければならない」というふうな規定をする法律の類はない。あくまで内閣が行う事務のひとつとして「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること」と憲法第73条にあるだけである。
今回は、大赦や特赦のように大幅に犯罪をなした者を許すようなことは行わず、復権を決定したわけだが、そのような決定をしないということも十分に選択可能であったはずだ。
実は、2019年3月の段階で、今回のような国民感情を半ば無視した決定がなされることは予想出来ていた。と言うのも、国民民主党の大西健介衆議院議員が提出した質問主意書に対して、安倍総理名で木で鼻を括ったような答弁がなされていたからである。
大西議員の質問のひとつは、以下のとおり。
「犯罪被害者の感情に配慮すれば、被害者のいるような犯罪は恩赦の対象にすべきではないと考えるが、政府の見解如何。また、そもそも恩赦制度は時代にそぐわないものであり廃止すべきとの意見に対する政府の見解をあわせて明らかにされたい。」
「恩赦制度は時代にそぐわないものであり廃止すべきとの意見」というのは、まさに現在の少なくない日本国民が抱いている意見のように思うが、政府答弁では以下のように、日本語すら解していないのかと思うような酷い返しがなされている。
「御指摘の「そもそも恩赦制度は時代にそぐわないものであり廃止すべきとの意見」の具体的な内容が明らかではないため、お答えすることは困難であるが、恩赦には、事情の変更による裁判の事後変更や、有罪の言渡しを受けた者の事後の行状等に基づく裁判の変更又は資格回復などの刑事政策的な意義があると考えている。」
「そもそも恩赦制度は時代にそぐわないものであり廃止すべきとの意見」ということの具体的な内容が明らかではないというのであれば、果たして何が具体的な事柄とするのか、およそ理解に苦しむが、このような不可解な答弁が平然となされていたのが今年の3月である。
国民の中にあるであろう、恩赦など廃止したら良いのではないか、あるいは実施すべきではないのではないかという声を、政府は聞き入れるつもりはないのである。
国民感情からは乖離したところで、犯罪者が慶事を理由に許されていくというのは何とも歯痒い。