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年金問題に正面から向き合わない安倍政権となるのか 年金の「100年安心プラン」は国民の安心ではない?

 

 

 

報告書不受理をめぐる情報戦

 

 麻生大臣が審議会の報告書の受け取りを拒否した件。あるだろうとは思っていたが、麻生大臣を批判する野党に対して「野党の勉強不足」といった批判も出ているようだ。
 報告書で老後に年金以外に2000万円必要となると思われる記述があったことから、野党は「年金だけで暮らせないのはおかしいではないか」と与党を批判しているとして、「そもそも、そんなことは以前から分かっていたではないか。野党は勉強不足ではないか」というのが野党に対して向けられた批判である。
 確かに、野党の批判はそう見えなくもないが、そこには与党支持者によるミスリーディングが多分に含まれている。この件を鎮静化したい与党側としては、事実に基づかずに騒ぎ立てる野党という構図を作ろうとするような情報発信は望むところだろう。
 例えば国民民主党の玉木代表の言を見れば明らかだが、野党はきちんと年金の問題に向き合わない与党を批判している。このことを再確認する必要があるだろう。

 

 

玉木代表の明快な説明

 

 国民民主党の玉木代表の説明は明快だ。

 

ameblo.jp

 

 まず、玉木代表は麻生大臣の姿勢を批判する。そして、以下のように自身の立場を明らかにしている。
 「年金の「100年安心プラン」はウソだった決めつけるような議論には、違和感を覚えます。」

 

 合わせて、こう説明している。
 「もともと100年安心プランが担保するのは「年金財政の健全性」であって「国民生活の安心」ではありません。」

 

 ここに今回の件のポイントがある。
 麻生大臣が受け取りを拒否した報告書でも、どこにも年金制度が崩壊するといったことは書かれていない。今回の件で追及を受けた安倍総理も委員会の答弁でマクロ経済スライド方式の導入を紹介して、年金制度は持続可能であると反論している。ただし、それらは玉木代表の説明にあるように、年金財政の健全性の話である。ここで、国民生活の安心を必ずしも担保しているわけではないことに注意が必要である。
 年金制度の持続性が担保されることをもって、国民生活の安心も確保されたと言わんばかりの装いを凝らしてきたのが自公政権のこれまでである。

 

 これも玉木代表の説明が的を射ている。
 「それを、あたかも人生100年時代を生きるに足る年金(額)がもらえる改革だと誤解を与え続けてきた与党の責任は大きいし、野党もその誤解を前提に攻めると、誤解が広がるだけになります。まずは、今後どの程度年金が減るのか正確に示すことが大切です。大丈夫と言い続けるのは単なる問題の先送りです。」

 

 多くの人が年金である程度の生活は保障されると思っていたはず。もちろん、年金だけでは不足することもあろうと多くの人が思っていたことだろう。それでも、これまで政府は、年金制度は持続可能な制度であって、心配はいらないというスタンスであった。玉木代表の説明にあるように、あたかも「生きるに足る年金額がもらえる」かのように喧伝してきたのだ。もちろん、2000万円の不足といった明確な数値を政府は出してこなかった。
 今回、明確な数値が審議会の報告書というかたちで出てきたことから、野党もその数値を取り上げて、これまでの説明は何だったのかと批判しているのだ。

 

 もちろん、報告書では全ての人が年金の他に2000万円必要としたわけでないが、少なくない人が老後に年金だけでは大いに不足しそうなことも、この報告書の記述からうかがい知ることが出来る。

 

 

年金問題に正面から向き合うのはどの政党か

 

 年金制度について、民主党政権時には何もしなかったではないかという批判も聞こえてきそうだ。ただ、それは民主党政権では失敗ばかりであったというイメージに乗じたミスリーディング以外の何物でもない。
 民主党政権の最後の総理となった野田総理。その政権で進めようとしたのが、まさに年金制度の改革も含まれる「社会保障と税の一体改革」である。
 その「社会保障と税の一体改革」は現在の自公政権でも引き継がれたが、その全てが十全に遂行されたわけではなく、さらに事態は深刻な方へと向かっており、新たな対応策が求められるところなのである。

 

 もう一度、先の玉木代表の説明の続きを見てみると。
 「年金問題は、とかく誰かを責めがちになりますが、本質的な原因は、少子高齢化で受益者と負担者のバランスが崩れていること、そして何より日本人の寿命が伸びていることです。いずれにしても、無い袖はふれないので、長生きのリスクをどうカバーするのか、具体的な対策を考えていかなくてはなりません。」

 

 麻生大臣は政府の立場とは異なるとして報告書を受け取らなかったが、これでは年金だけでは不足する可能性があるということを政府が否定することになってしまう。しかも、報告書は大臣が「受け取らない」とするような出来の悪い何かではないが、この報告書を政策立案に反映させることはないと麻生大臣は表明してしまった。かように全面否定するのではなく、政策立案にも反映されるべき内容だったと思うが、本当に葬り去ってしまって良いのだろうか。
 玉木代表の説明にあるように、少子高齢化で受益者と負担者のバランスは崩れている。なかには、そもそも受け取れる年金が少なく、2000万円どころかもっと不足する人が出て来ることも容易に予想される。特に、不安定な雇用にある者の多い、いわゆるロスジェネ世代では、受け取れるであろう年金の額が少ない人もいる。2000万円不足どころの話ではない可能性も大いにあるのだ。
 政府としては、年金だけでは大きく不足する人が出る可能性も認めた上で、これまでにも積み重ねられてきた年金制度に関する改革を不断に続けていく必要があるはずだ。

 

 報告書を受け取らない麻生大臣は自身が年金を受け取っているかどうかすらご存知ないようだが、それでは困る。年金制度の健全性だけではなく、年金を受け取る側の国民の生活にも思いを及ぼす。一人一人の国民生活に向かい合い、多くの国民の老後の生活を政府としてどのように支えていくのか、あらためて考え、制度の改善も図っていく必要があるのだ。果たして、報告書を受け取らないという現政権に、それが出来るのだろうか。