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「中道」を目指す民進党

 

 

 

 

保守とリベラルは対立概念ではない

 

 昨年の11月のことになるが、参議院本会議における民進党の大塚代表による代表質問の中で、保守とリベラルが原義的に対立概念ではないと表明する一幕があった。

 

 保守思想の祖とされるイギリスのエドマンド・バークを引きながら、保守においても「保守するための改革」を求めるとした。一方で、ジョン・ロックを引きながら、リベラルの本質は自由主義であって、個人の自己責任を前提としており、格差是正とは必ずしも相容れない面があるともした。

 

 保守と言えば守旧的と思われ、対して、リベラルと言えば改革を指向し、社会政策を重視するものと思われがちであるが、原義的には必ずしもそうではないと言うのだ。そして、大塚代表は、日本では保守とリベラルが対立的に捉えられており、この必ずしも的確ではない保守とリベラルの対比を止めることが、日本の政策論争を生産的に組み立て直すことにつながるとも表明した。

 

 大塚代表が考えるほど日本で高尚な議論が行われているのかどうか、疑問がないわけではなく、多くの人にとっては、保守が自民党で、リベラルが野党であり、リベラルは理想だけ追い求めて保守のやることに反対ばかりしている、くらいの認識なのではないだろうか。あるいは、保守とされる人から見れば、リベラルは人権や福祉を声高に叫んでいるだけのようであり、一方でリベラルとされる人から見ると、保守は愛国的なことを強調して、人々の生活を見ていないということになるではないだろうか。

 

 いずれにしても、このようなお互いのレッテル貼りによる対立化を克服するべきであると大塚代表は唱えているのである。

 

 実際のところ、民進党の中でも保守的とされる議員が希望の党に、リベラルとされる議員が立憲民主党に、それぞれ移ったことを考えると、この誤っているかもしれない対立は党を割るほどに根深いものであると言える。それでも、保守とリベラルの原義に返り、対立を乗り越えようというのであるから、大塚代表の構想は壮大である。

 

 

世界的に見れば、安倍総理がリベラルである

 

 別のところでも大塚代表は指摘していることが、あれだけ民主党や民進党を批判していた安倍総理が実際に行う政策では民主党や民進党が主張していた政策についてその看板を入れ替えて実行している。

 

 教育無償化が最たるものであるが、最近では、働き方改革の中で同一労働同一賃金を言い出したり、さらには数年前から労働界に直接交渉をして賃上げの交渉も行っている。これらいずれの政策や行動も、世界的に見れば、保守政治家が行うものではなく、リベラルな政治家が行うものである。

 

 これは安倍政権における経済財政政策もそうで、アベノミクスと総称される各種政策は世界標準で見れば、それはリベラルなものである。保守とされる安倍首相がリベラルな政策を展開している。この捻じれにこそ、現在の野党が置かれた苦しい立場の原因の一端が存在している。

 

 

「中道」を目指す

 

 今後のことを考えたとき、民進党が急進的な保守やリベラルに立脚することは考えにくい。既に、急進的な保守勢力やリベラル勢力は党外へ去ってしまった。そうであるならば、急進的な保守やリベラルの立場からは適度に距離を取り、保守とリベラルの良いところは採用し、悪いところは反対をするという是々非々の立場こそ民進党が取るべきだろう。

 

そこで、大塚代表は、「異なる意見にも耳を傾けて、熟議を尽くして結論に至る」という議論や思考の作法を守るというのが「中道」であるとし、この考え方に立脚して、民進党は活動していくべきであるとした。「中道」も、保守とリベラルの中間といった程度の認識で捉えられてしまいがちであるが、本来はそうでないとし、その本来のあり方としての中道を目指すというのである。

 

さらに、大塚代表は、現在の与野党の構図は、民主主義の観点から比較的明確に整理できると捉えているとする。民主主義は思想ではなく、手続き論だと言うのだ。そして、この手続き論を等閑にしているのが安倍政権の特徴であるとも指摘した。

 

保守対リベラルの二項対立から抜け出し、中道という立場を明確にし、手続き論に拘る。保守やリベラルについて一家言ある人には不評かもしれない考え方だとは思うが、ひとつのあり方として、十分に可能性を感じられるあり方だろう。

 

保守とリベラル、いずれにも日本独自の微妙かつ偏った色がついてしまった現在、それぞれに拘ること自体が得策ではない。保守政党でもリベラル政党でも、最終的に国民生活にとっては必要かつ最善の政策を追求する政党が国民の支持を得るはずだ。

 

大塚代表の言にあるように、保守とリベラルの対比を止め、日本の政策論争を生産的に組み立て直す。衆議院議員の大半が党外へ出て行ってしまい、なかば「空洞」になってしまった民進党だからこそ立ち得る「中道」の立場は、その政策論争の中心にも位置し得るのではないだろうか。