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希望の党の政策協定書は「踏み絵」ではない

 

希望の党が公認候補と取り交わした政策協定書が話題になっている。いわく、候補者に迫った「踏み絵」である、と。

 

www.sankei.com

 

 

 

政策協定書 三つの批判と疑問

草案段階の協定書の情報が行き交い、それをもとにした批判が繰り返されていたが、実際の協定書を見れば、その批判の多くは意味のないものであることが分かる。それを分かっていて、それでも批判したい側は、草案を持ち出して、小池代表批判を繰り返している。

 

さて、実際の政策協定書は10個の項目があり、それを遵守することを誓うというかたちになっている。なかでも、以下の三つが批判や疑問の対象になっているように思われる。

 

2、現下の厳しい国際情勢に鑑み、現行の安全保障法制については、憲法にのっとり適切に運用する。その上で不断の見直しを行い、現実的な安全保障政策を支持する。

 

4、憲法改正を支持し、憲法改正論議を幅広く進めること。

 

9、希望の党の公認候補となるに当たり、党に資金提供をすること。

 

安全保障法制は憲法違反の疑いが

 

まず、2の安全保障法制について。民進党出身の前議員らは、安保法制に反対していたのに、なぜこの項目に同意するのかというのが最大の批判点だろう。しかし、そういう批判をする人は、大前提を見落としているか、あえて見ないようにしているだけだ。それは、安保法制は国会で成立しているということである。法案の審議において反対するということは当然あり得る。民進党出身の前議員らは、委員長席を取り囲んで抗議もしていた。それは事実だが、国民によって選ばれた国会議員による採決では賛成が多数となり、法案は成立している。法案が成立し、施行された以上、それを適切に運用するのは当然のことである。安保法制については憲法違反の疑いもあるとの主張もあったが、それもきちんと配慮されて、協定書では「憲法にのっとり適切に運用する」とされている。

 

 

法案に反対していたから、成立した法案でも守らなくても良いとか、運用なんてしなくても良いなどということは許されない。もしそのような人がいたとしたら、議員になる資格などない。もちろん、反対をしたくらいの法案であるから、成立したからと言っても、そのままで良いということではなく、「不断の見直し」を行うことは必要だろう。この2の項目は、それを確認しているに過ぎない。これを認めたからと言って、民進党出身の前議員が変節したと責められる謂れはない。

 

 

 

「憲法改正論議を幅広く進めること」の指示は変節ではない

4も民進党出身の前議員を批判したい人たちの格好の対象になる項目である。改憲に反対していたのに、希望の党に移るために変節したのか、と。しかし、これにつき認めるのも決して変節などではない。ここで確認されたのは、憲法を改正することを支持するということと論議を進めるということである。現在の憲法に一切手を付けてはならないという偏狭な一部の勢力を除けば、現在の憲法に内在する難点などを解消するために一定の改正が必要と考える人は民進党の中にもかなりの数いたはずだ。憲法改正というと、直ぐに「9条を守れ」という反対が叫ばれるが、それ以外の条文でも、改正の必要は以前から指摘されている。例えば、憲法89条は公金の支出に関する条文であるが、これは私学の学校への助成金を禁じていると読み取れるものだ。実際には、私学への助成も行われているが、憲法違反かもしれない状態を解消する上では、この条文の改正が求められる。

 

そのような条文を中心に、「憲法改正論議を幅広く進めること」は何ら間違いではない。その論議の中で、変えてはならない事項があるのであれば、それを明らかにし、その部分は変えないようにすれば良いだけである。憲法には一切手を触れてはならないとする偏狭な理想から離れて、より現実的な対応へと舵を切ったと捉えるのが正鵠を射ている。

 

例外ではない 党員からの資金集め

9も反社会的勢力のやり方だと批判されている。しかし、それは現実を知らない言いがかりに過ぎない。自民党や民進党から衆議院議員選挙に立候補するためには、通常は、選挙区の支部長に選ばれる必要がある。この支部長になるには、一定数の党員を集めてくる必要がある。党員は単に名簿を揃えるというだけではなく、党費を集めて党に支払う必要がある。基本的に党の中では禁じられているが、その党費の一部を立て替えて払っている支部長も少なからずいることだろう。さらに、党の活動をする上でも、議員や候補者が自らの資金を持ち出すことも少なくない。今回、政策協定書ということで明文化されたから騒がれるだけで、これまでも実態としては、議員や候補者は党にお金や人を「上納」していたのである。希望の党は立ち上がったばかりであり、自民党や民進党、あるいは他の党のように、日常の活動を通じて、議員や候補者から党の活動「資金」の提供を受けることがなかったために、このようなかたちを取らざるを得なかっただけである。それを取り上げて、何か極めて例外的なことが行われているかのように書きたてるのは、明らかにミスリーディングである。

 

 

 

希望の党に限らず、いずれの党から立候補する場合でも、この種の「宣誓書」のようなものにはサインをしているはずである。そういうものがこれまで表に出て来なかっただけで、今回、その情報が表に出たからと言って、その内容につき難癖をつけるのは、「批判のための批判」でしかない。