霞が関から見た永田町

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情報化社会に対応したユニバーサル社会の実現に踏み出せ

 

 

 

超党派でユニバーサル社会関連の議員立法が成立へ

 

政府が提出した「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律の一部を改正する法律案」(バリアフリー法案)が全会一致で成立した。
衆議院の国土交通委員会において、小宮山泰子議員(当時:希望の党、現在:国民民主党)が提出者を代表して趣旨説明を行った附帯決議の前文には、「障害をお持ちの方にとっても健常者にとっても誰にとっても暮らしやすいユニバーサル社会の実現を目指すには、今回の法改正に加え、幅広い施策を推進することが不可欠である。国会において、そのために必要な立法措置を引き続き講じていくよう努めるものとする」と書かれている。


 これに各党・各会派がいち早く対応し、「ユニバーサル社会の実現に向けた諸施策の総合的かつ一体的な推進に関する法律案」が超党派で議員立法としてとりまとめられ、この国会で成立する可能性も高くなってきた。

 

 

バリアフリー、ユニバーサルは建物、交通だけの問題ではない

 

バリアフリーというと、どうしても住宅・建築物、交通機関のことが真っ先に話題になる。バリアフリー法を第一に所管するのが国土交通省であるし、世間的な一般常識としても、これらの点をあげることが多い。


 その点、超党派でまとめられた今回の法案はもっと視点が広く、一貫してユニバーサル社会という概念、単語をベースとしており、高く評価できるものである。


 当然のことながら、諸施策の策定等に当たっての留意として、バリアフリー法が取り扱っている障害者、高齢者等の移動、施設の利用にも触れられている。


 今後のユニバーサル社会を実現していく上で、いくつもの課題があるが、一つはネット社会への対応についてである。十分な議論をした上で、実効ある対策を早急に講じていく必要がある。


 超党派の議員立法でも、この点はしっかり盛り込まれている。「障害者、高齢者等が円滑に必要な情報を取得し、利用できること」「障害者、高齢者等の言語(手話を含む)その他の意思疎通のための手段並びに情報の取得及び利用のための手段の確保」などが関連する部分である。

 

 

スマホなどのネット情報から取り残される高齢者たち

 

今やスマホ、タブレット、パソコンなどを扱うことは当たり前となっている。悪い面も、影の部分もたくさんあるが、こうしたデバイスなしで、インターネットなしで若い世代や現役世代が円滑に暮らしていくことは難しくなっている。


 既にデジタル・ディバイドという言葉が定着しているが、高齢者の中でも更に年齢の高い層においては、デジタル機器を使いこなすことはかなり難しく、若い人や現役世代が当たり前のように接することができる情報、サービス利用からは取り残されており、抜本的な対策が求められる。

 

 『情報通信白書平成29年版』をざっと見てみたが、この点での問題意識、危機意識がかなり薄いようだ。スマートフォン、ビッグデータが産業革命を推進するだの、様々な社会問題を解決するといった明るい視点ばかりが目立つ。基本はこれで良いと思うが、高度情報通信社会から疎外された人たちをいかにケアするのか、インターネットやSNS等がもたらす闇の部分にどう対処するのかという問題に、正面から向き合おうとする姿勢が感じられない。


 総務省のウェブサイトに、「高齢者のICT利活用の課題と対策2016--拡がり続ける情報格差--」という資料が出ていたが、まさに今指摘した点をしっかりフォローしているし、大変よくできている。『情報通信白書』でも詳しく取り上げるべきものと考えるが、そうなっていないことは残念だ。

 

 

自由自在・変幻自在のスマホは危険だらけ

 

高齢者などがスマホ等に関連する問題点は大きくいって二つある。


 一つはそもそもスマホ、タブレット、パソコンが使えない、使わないという問題である。先ほど紹介した総務省の資料にもあるが、「パソコンやスマートフォンでネットを活用できる高齢者は、使えない高齢者と比較すると社会参加の機会も多く、友人も多い」との調査結果がある。


 二つめの問題点として、そうしたものを使ったら、使ったで、トラブルに見舞われるといことである。インターネットの世界には詐欺、偽物があふれており、情報リテラシーを欠いた高齢者はたちまち餌食になってしまう。 

 

とりわけスマホは自由自在・変幻自在なものである。アプリを入れれば、ドラえもんのポケットから出てくる道具と遜色なく、あらゆることができる。Googleのツールだけでもいろんなことができ、「マップのストリートビュー」は「どこでもドア」、「翻訳」は「ほんやくコンニャク」として機能する。


もし今から30年前とか50年前の世界に行って、「未来になったら、みんなが小さい携帯電話を持っていて、通話だけではなく、世界中の人と文書を交換でき、写真もビデオも撮れて世界の人に見せることもでき、ゲームもでき、電卓も使え、買物の注文ができて届けてもらうこともでき、知らない人とも友達になれ、ニュースも見られ、映画も見られ、本も読め、百貨事典みたいに何でも調べられ……」などと言っても、信じてもらえないかもしれない。

 

テレビや固定電話のように、機械として機能が一定しているわけでもなく、スマホやタブレットはOSだの、アプリだのが更新されたり、追加されたりして、どんなものになるか分からないという怖さがある。こうした仕組みや操作は高齢者には理解することは難しい。ましてや無法地帯ともいえる情報にも接することが多いとなると、トラブルが多発することは必至である。


経済産業省がその典型だが、IoT、ビッグデータ、⼈⼯知能、ロボットをもてはやすだけなら、誰にでもできる。こうした技術の影や闇の部分に対してどう対応するのか、逃げずに取り組んでもらいたい。日本の官僚はあまりにも産業優先の枠に縛られすぎている。本来は護民官たる官僚は、消費者、生活者、納税者の利益を優先することを行動規範とすべきだ。

 

 

官民をあげて「ユニバーサル社会実現推進法」の厳正な執行を

 

超党派の議員立法に盛り込まれている「施設、製品等を障害者、高齢者等にとって利用しやすいものとすること」「国及び地方公共団体による障害者、高齢者等が利用しやすい施設及び製品の普及等」については、着実な取り組みが行われるか見守っていかなければならない。


 これから社会の高齢化がますます進んでいくことは必至である。国や地方自治体は勿論、民間企業においても、製品開発などにおいては、現役世代だけが使えれば良いとする発想は捨てるべきである。そもそもユニバーサルデザインとは、高齢者、身障者は勿論、誰にとっても使いやすいものという考えに基づくものである。


「製品等が利用しやすい」ということは、問い合わせにもきちんと応えてくれるということを含んでいるのではないか。スマホなど売ったら、それでお終いではなく、丁寧なサポート体制ができているかどうかも問われることになる。サポートの電話がつながらない、有料であるということなると、この法律を順守していないとなるのではないか。

 

 どちらかというと高齢者に重点を置いた視点となってしまったが、障害者団体などの意見も丁寧に聞く必要がある。「手話言語法」「障害者情報アクセスビリティ・コミュニ―ケーション保障法」の制定を求める動きもあり、こうした提言もしっかり受け止めなければならない。


せっかく超党派でまとめあげた「ユニバーサル社会実現推進法案」を絵に描いた餅にしてはならない。ユニバーサル社会推進会議を設置することが明記されているが、こういう法律にありがちなのは、内閣府に各府省から出向者が集まり、短い期間でくるくると人が入れ替わることである。本腰を入れて、責任ある取り組みをする人材が配置されるように強く望むものである。