霞が関から見た永田町

霞が関と永田町に関係する情報を、霞が関の視点で収集して発信しています。

MENU

ダダ漏れになった新元号の選定過程

 

 

 

事前には情報管理を強化しようとしたが

 

 新元号が「令和」に決まった。
 その決定発表前に、官邸と国会が対立する場面があった。情報管理を強化したい官邸側と官邸の指示を受ける筋合いは無いと反発した赤松広隆衆議院副議長が対立したのだ。

 

 新元号が決まる最終局面で、菅官房長官が衆参両院の正副議長から意見聴取をする場が設けられた。ここで、情報管理を徹底するために、議長と副議長の携帯電話を官邸が預かり、意見交換終了後も新元号発表まで議長と副議長が外に出ないように求めた。

 

mainichi.jp

 

 

 野党から選ばれた赤松副議長が反発したことから、野党が嫌がらせに騒いでいると批判する人もいるようだが、今回は赤松副議長に理がある。情報管理はもちろん重要だが、官邸が国会に指示命令するという関係にはないからだ。
 新元号に関する情報が漏れないように、官邸が議長と副議長に配慮を求めることはあっても良い。ただ、それはあくまでも要請であって、官邸が議長と副議長に出したとされる「発表までおとどまりいただきます。携帯電話は預からせていただきます」という文書はやり過ぎだろう。赤松副議長が反発するのももっともだ。
 赤松副議長は「行政府が立法府を拘束するとは民主主義の危機だ」と語ったとされているが、まさに赤松副議長の言のとおり。官邸は何でも自分たちの思うがままと勘違いしているようだが、それはまさに民主主義の危機だ。

 

 赤松副議長は菅官房長官に謝罪を求め、菅官房長官は謝罪する事態となった。
 さらに、意見聴取の場は当初予定されていた国会内から衆院議長公邸に変更され、意見聴取終了後は、大島衆院議長や赤松衆院副議長らが食事をすることとして外に出ないということで折り合いがつけられた。

 

 

直ぐに6案が漏れる

 

 行政府が立法府を拘束するという越権行為まで行ってしようとした情報管理。
 1日に、安倍総理は出演したNHKのニュース番組で、元号の選定過程に関する情報を30年は公開しない旨を表明していた。しかし、その目論見は崩れ去った。新元号が決まった次の日の朝刊各紙。公開しないとしていた新元号の候補案や考案者の情報が紙面に並んだのだ。

 

www.asahi.com

 

www.nikkei.com

 

www.sankei.com

 

mainichi.jp

 

 

 こうして情報が漏れると、先に触れた一件もあるので、さっそく何でも野党を批判したい人たちが「赤松副議長も情報を知っていたので、そこから漏れたのだ」と一騒ぎと言ったところだろうが、漏れたのは赤松副議長からではない。というのも、新聞各紙で微妙に表現が違うが、「政府関係者」が明かしたというふうに書かれているからだ。
 まず、衆参両院の正副議長は「政府関係者」ではない。菅官房長官や副官房長ら官邸の関係者からオフレコで記者に情報が提供された場合にも、それは「政府関係者」とは書かず、「政府首脳」や「政府高官」といった表現が使われるので、官邸から漏れたとも考えにくい。
 今回の選定過程で情報に接することが出来た人物のうち、衆参両院の正副議長や官邸の関係者を除き、「政府関係者」と表現されそうなのは閣議で案を確認した各大臣、それから元号選定会議のメンバーで官邸の一員ではない横畠裕介内閣法制局長官や山崎重孝内閣府事務次官あたりだろうか。

 

 いずれにしても、事前に情報が漏れるのではと警戒された立法府ではなく、あるいは有識者でもなく、自ら情報管理に努めなければならなかった行政府から情報が漏れたということである。
 さらに言うのであれば、新聞各紙やNHKも一斉に報じているところを見ると、どこかで漏れたというよりは、誰かがオフレコ扱いでマスコミ向けて話したということのはずだ。

 

 

マスコミにも問題あり

 

 元号の選定過程に関する情報をどの程度公開するのかについては議論が分かれる。国民の知る権利に応えるという観点からは、可能な限りその情報は速やかに公開すべきと考えられるが、国の外交や安全保障に関する情報はその公開に制限がかかるように、一部の情報については非公開にしたり、公開までに一定の期間を設けたりすることも想定され得る。
 ここで問題なのは、政府として情報を一定期間秘匿するとし、情報管理に努めていたはずにもかかわらず、その情報が直ぐにマスコミに漏れてしまったことだ。かくも重要な情報がダダ漏れ状態だったとなると、現政権の情報管理能力に疑念が生じる。

 

 マスコミは特ダネとばかりに新元号の6案をこぞって報じたが、彼らが行うべきは、情報管理に努めたにもかかわらず、それを容易に漏らしてしまった政府の管理能力の低さを批判することではないだろうか。
 新元号がどんなに素晴らしくとも、それに浮かれて、政府の失態を見逃してはならない。

 

 あるいは、政府があえて6案をリークして、「令和」の評判を上げようとしていたりするのであれば、そんな策動にマスコミは乗ってはならないことも申し添えておく必要があるだろう。