霞が関から見た永田町

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野党には自民党に対抗する政権構想に期待したい

 

 

 

大きな一歩を焦らず、着実な歩みを


8月27日に立憲民主党が両院議員総会を開き、国民民主党と衆参両院で統一会派を組むことを決めた。いよいよ「大きな塊」に向けて野党が力を合わせて動き出すときだと捉えたい。


政策に多少のズレはあれど、自民党に対峙できる勢力を作ることは、両党が共通する認識に違いない。かつて一度は成立しかけた政権交代可能な二大政党制の政界地図をこの国に定着させられるかどうかは、次の衆院選にかかっている。

 

当然のことながら、次の衆院選で突如として政権交代が起こることも、与党の一部を揺さぶって政権交代を実現させられるほどの勢力を手に入れることも難しいし、不可能だと思っておいたほうがいい。しかし、今回会派を組む各党には、その礎を築く選挙が控えているということを強く認識し、次の次を見据えたアクションを起こす機会と捉えなければならない。

 

次の総選挙の結果で再び分裂が繰り返されるようでは、二大政党制など諦めたほうが良い。小異を捨てて大同につく覚悟が会派の合流に踏み切る現職議員には求めたい。

 

 

解散風に怯えることなく政権構想を描くべき


7月の参院選を控える時期に衆参同一選の可能性が取りざたされ、参院選が終わった今度は引き続き年内解散の噂がちらつく。「一強多弱」と揶揄される現状の永田町においては、弱い野党陣営は選挙の影にドキドキしてしまうのも止むを得ない。そうした姿に嬉々とする自民党幹部の姿が目に浮かぶ。

 

一方でワクワクする東京五輪を控え選挙は来年秋という見通しもある。何れにせよどの政党も必ず選挙という国民の審判を受けるときが来るのであるから、その備えをしておくのは当然のこと。

 

では、この来たるべきときに向けて、野党陣営がすべきことはなにか。

 

それは、国民の選択肢となりうる政権構想を打ち立てることにほかならない。今はまだ会派を一つにしようという合意に至った段階、衆院で「社会保障を立て直す国民会議」も会派への参加も検討していると報じられているだけに、安倍首相曰く“悪夢の民主党”では成し得なかった、自民党に対峙できる政権担当能力を示すだけの政権構想を作り上げることに注力すべきである。

 

仮に、新会派が今後も「単なる政権批判」を繰り返すようであれば、二度と国民に視線を向けてもらえることはなくなると思ったほうがいい。新たに生まれる会派のメンバーには、若手を中心とした政権構想を練っていくプロジェクトチームを組織するような、そんな話題もほしいところだ。

 

 

野党共闘を脱却しなければ政権は取れない


立憲と国民の会派合流のニュースに混じって、共産党が連合政権への協議を野党各党に申し入れたという報道があった。当然のことながら、共産党が政権に入ることは考えにくい。論外だと斬って捨てる意見もあるだろう。自民党という政権与党に立ち向かう野党としての協力は理解できても、政府に共産党が入るということがどういうことか、これについては立憲、国民両党も理解しているはず。立憲民主党の枝野代表が内心どのように考えているのかは定かではないが、一度、政府首脳と呼ばれる立場を経験した立場から、共産党が政府への切符を手にすることがどれだけ危険であるかを理解しているとは考えられる。そうであればもっと明確なメッセージを発信したほうがいい。

 

「大きな塊」を作る上で、共産党が加わるのか加わらないのか、これは無党派層にとっても大きな選択動機になる。かつて永田町を賑わした第三極ブームは、まさにそれであって非自民であり左派を敬遠する無党派層が期待を寄せるかどうかは大きなカギになる。

 

当然のことながら低投票率はすなわち既存政権への消極的支持になるので、これをひっくり返すには、普段選挙に行かない有権者に期待される存在である必要がある。とするなら、これまでの永田町のルールの中で組織づくりは最も避けるべき考えだろう。

 

投票率が下がっているということは、かつて票を投じていた有権者が投票所へ足を運ばなくなったということなのだから、逆に言えば、投票する価値を見出せば投票所に行く潜在的支持層が一定いるということである。

 

 

メンツなどに縛られず「国民」の声に耳を傾けたい


報道によれば、会派を共にすることになる結果、国民民主側が会派の主要ポストを求めるのではないかと立憲側が警戒しているという。主要ポストには議員数が多い立憲から出すのが「永田町のルール」なのだとしたら、そうしたことにこだわっていることがもはや有権者に呆れられる要素であることを自覚したほうがいい。

 

例えば、自民党でいうところのいわゆる「総総分離」も一つのアイディアかもしれない。
今回の立憲・国民の会派合流の関係でいえば、大所帯の立憲民主党、枝野代表がその顔になるのだろうが、かつての原発事故発生時の官房長官が自民党に対抗する連立政権の首相候補というのはあまりに据わりが悪い。そこで国民民主党の玉木代表を政権の顔に据えるというのは一つの案だ。

 

会派のポスト争いなどは有権者にとってどうでもいいこと。結果として意味をなさない国会対策よりも、野党がようやく政策論議を始めたと有権者の心に響くかどうかが重要である。そういった意味でもこれまで国民民主党が心血を注いできたスタンスを貫くことがむしろ新しい会派の肝になる。安易な政権批判を繰り返すようなら、国民民主党は会派を解消し、改憲勢力に力を与えるキャスティングボートを握る立場を利用して政策実現に舵を切ってもいい。どちらが有権者との約束を果たすために最善なのか、永田町の論理ではなく、有権者の目線が何より必要だ。

 

新しい会派が勇気を持ってこうしたメッセージを発信できるのか。東京五輪を控える歴史的な時代の節目になるであろうこの時期に果たして政権担当可能な勢力が生まれるのかどうか。この会派を共にする動きが、将来の政権政党誕生の産声であってほしい。