霞が関から見た永田町

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文科省、現役局長逮捕の衝撃

 

 

 

衝撃が走った。文部科学省学術政策局長の佐野氏の逮捕である。現職職員の逮捕も異例なら、事前聴取もなく、一発逮捕という意味でも異例だ。

 

容疑者の佐野氏は1985年科学技術庁(当時)に入庁、官房総括審議官、官房長などを経て、学術政策局長を務め、事務次官を嘱望される人物だった。ことの慌ただしさを象徴するように、文部科学省は佐野容疑者が東京地検特捜部に逮捕された7月4日付で、佐野容疑者を解任し、大臣官房付とする人事を発表した。

 

 

我が子の合格と引き換えに・・・


すでに多くのメディアで報道されていることだが、改めて、今回の容疑について触れておこう。同氏の逮捕は受託収賄の疑いだ。文部科学省の私立大学支援事業の対象校への選定の見返りとして、佐野容疑者が自身の子供を東京医科大学の合格させてもらったという。

 

対象校選定の便宜を依頼したのは東京医科大学の臼井理事長とされ、このほか、鈴木学長も関わったとされている。すでに臼井氏も鈴木氏も東京地検特捜部の調べに対して容疑を認めているとのことだ。

 

森友問題、加計問題などここ数年、官僚を巡る不祥事が後を絶たない中でも、今回の逮捕劇は衝撃以外何者でもない。そもそも文部科学省は組織的な天下りが問題になっていた。そういう中での今回の事件発覚だ。

 

「なんで彼が?」「そんなことをするような人には見えなかった」というコメントも新聞などには一部掲載されているようだが、もはや、これは文部科学省の体質と言っていいだろう。典型的な権力の私物化であり、言語道断だ。官僚に矜持があるならば、吏道に反するものだ。

 

 

キャリア官僚の胸先三寸で決まる異様さ


そして、今回のニュースで明らかになったことは、補助金の採択が幹部職員の意向如何でいくらでも差配できてしまうという現状だ。おそらく、これはユニークな案件なのではなく、霞ヶ関の日常風景なのだろう。そう思われても仕方ない。本事案だけがユニークな事例だとする証拠は今のところ、見当たらない。

 

こういう組織風土、霞ヶ関の風土があるからこそ、政治の介入もまた、容易になってしまう。森友問題、加計問題も根っこはそこにある。本来、行政組織というものは、所掌事務に則って、粛々と執行されなければならない。補助金の助成しかり、公共工事の受注しかり、そこの決定プロセスには透明性が求められるのは当たり前の話だ。胸先三寸で決められる、ルールに基づかないやり方が存在するからこそ、そこが不正の温床となり、行政も政治も歪んでいく。

 

 

三人の自殺者を出したノーパンしゃぶしゃぶ事件


少し古くなるが、こうした怖さを霞ヶ関が身を以て経験したのが、1990年代後半の大蔵省接待汚職事件、通称ノーパンしゃぶしゃぶ事件ではなかったか。第一勧業銀行の総会屋利益供与事件に端を発して、明るみになった大蔵省と都市銀行の大蔵省担当者(MOF担)の癒着は、官僚7人の逮捕、大蔵大臣と日銀総裁の引責辞任へと発展し、ついには財金分離と大蔵省解体への大きなキッカケとなった。

 

霞ヶ関にとって、省庁の中の省庁と呼ばれる大蔵省の解体にショックを受けたはずだ。しかも、あの時は大蔵官僚、日銀理事、第一勧業銀行元頭取と、3人もの自殺者を出した、まさに異様とも言える事件だった。

 

20年もすると、あの痛みは風化するものなのかもしれないが、今の中央官庁の、事務次官を目指そうかという年次の者たちは、ノーパンしゃぶしゃぶ事件の当時は30代後半。まさか、あの事件を忘れたわけではあるまい。

 

 

内閣人事局の人事という重さ

 

もう1点、指摘しておかなければならない。佐野容疑者の学術政策局長への人事は内閣人事局で選んだ人事。つまり内閣総理大臣である安倍首相の責任が大きく問われれることになるだろう。こうした状況の中で、野党がヒステリックにならず、それでいて論理的に政権与党を問い詰めることができるか、今後の推移を見守りたい。