霞が関から見た永田町

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公文書改ざんは蟻の一穴となるか、問われる野党の国家ビジョン

 

 

 

財務省が危機に立たされている。1990年代後半の、言葉にするのもはばかれる「大蔵省接待汚職」以来と言ったら言い過ぎだろうか。

 

 

ノーぱんしゃぶしゃぶ事件という名の汚職事件


ちょうど20年前、旧大蔵省を襲った接待汚職事件。1998年1月、旧第一勧業銀行の総会屋利益供与事件をきっかけに大蔵省の金融機関検査の甘さが問われた。それがキッカケとなり、都市銀行の大蔵省担当、通称MOF担による過剰接待は贈収賄に当たるという新解釈で、東京地検特捜部は大蔵省の検査官2人を逮捕した。

 

その後、大蔵キャリア官僚・ノンキャリア2人と日銀課長1人も逮捕され、大蔵ノンキャリアと日銀理事と勧銀元頭取の3人が自殺。この事件は最終的に112人もの大蔵官僚の処分につながり、近年稀にみる、後味の悪い汚職事件となった。

 

 

2009年の政権交代はここから始まった

 

あの当時、大蔵大臣を務めていたのが自民党の三塚博氏。三塚大臣は当初は辞任する意思はなかったが、補正予算案・特別減税法案の成立と引き替えの形で橋本龍太郎首相から求められる形で辞任。これに引きずられる形で、日銀総裁や大蔵省の事務次官・銀行局長・証券局長らも辞任・退職した。

 

「政治不振、ここに極まれり」と言っていいだろう、この時、野党が合流して結成されたのが旧民主党である。「行政改革」「地方分権」そして「政権交代」を掲げ、結成された。7月の参院選で自民党は過半数割れの敗北を喫し、その後、自民党は一歩進んで二歩下がる形でずるずると党勢が弱まり、2009年の政権交代となった。まさに大蔵省接待汚職が2009年の政権交代への端緒となったと言っていい。

 

 

本質は不当に安く売却した責任論だが・・・

 

今、話題になっている森友問題は報道されれば、されるほど、不思議なニュースだ。公文書改ざんでは佐川氏は理財局長として答弁もしており、実際、彼が直接の責任者だ。しかし、よくよくこの問題を振り返ると、森友問題の本質は国有地を不当に安く売却したことが問題だったはずだ。少なくとも佐川氏は国有地の不当売却の当事者ではない。売却交渉が進んでた時の佐川氏のポジションは関税局長で、無関係だ。

 

もしかしたら、佐川氏自身、なぜ、今このような状況に追い込まれているのか、狐につままされた気持ちでいるかもしれない。もちろん、公文書改ざんの当事者ではある点は免れようがないが、問題の本筋論からいえば、不思議と言えば不思議なのである。そして、これが世論の怖さとも言える。あれだけ異動後の佐川氏の国会答弁を拒否してきた政権与党が、退職した佐川氏をあっさりと証人喚問の場へ呼ぶことを認めた。いや、認めざるを得ない情勢になったと言った方がいい。

 

 

官邸の人事権が肥大化した

 

そもそも、今回の公文書改ざんの背景には、国会公務員の人事制度が大きく関わっているように思う。2014年に設置された内閣人事局がそれだ。

 

当然のことだが官僚機構は巨大であるため、憲法上、国家公務員の人事は内閣とされていながら、実際には事務次官以下、事務方の人事は各省庁が行うのが通例だった。この人事制度は省庁の縦割りの問題と、政治をコントロールするのが政治家ではなく官僚になっているとの視点から、政治主導の行政運営の実現を目的に内閣人事局が創設されたという流れがある。

 

もっとも基本法が制定されたのが2008年の福田内閣時代で、その後、現在の第二次安倍政権になって2014年に内閣人事局が設置された。ここから急速に官邸の霞ヶ関に対する人事権が強まったというのが一般的な見方である。
悲しいかな、官僚は人事が人生のすべて、である。人事権を強力に握られた霞ヶ関は今や官邸にまったく逆らえなくなっている。逆らえないどころか、法的に際どいこともやらざるを得なくなっているのが実態ではないか。今回の公文書改ざん事件は、こうした霞ヶ関を取り巻く、人事制度の閉塞感と無関係ではないように思う。

 

 

20数年前の相似形

 

問題は、その結果、国民の不信が再び、霞ヶ関に向けられている、ということになる。そして、圧倒的一強と言われた安倍政権もこの件をキッカケに、秋の総裁選には出馬しないのではないか、という声さえ囁かれるようになっている。

 

こうした状況だけを眺めれば、20数年前の大蔵省接待汚職の時と、非常によく似ている。野党がバラバラで与党に対抗できる政党が存在しないところまで、そっくりなのである。1990年代後半、旧民主党が参議院選挙で自民党を過半数割れに追い込んだとはいえ、議席数は数えるほどで、「いよいよ二大政党制時代の到来か」と言われるほどの躍進には数年を要した。何から何まで相似形ではないか。

 

 

時代に余裕がなくなっている点が前回との違い

 

異なる点を挙げるとすれば、2つ。1つはすでに政権交代をして失敗を体験していること。国民はあの失敗を忘れていない。あのような稚拙な政権運営をされるくらいなら自民党の方がましだ、と考える有権者はことのほか、多い。

 

もう1つは日本そのものが置かれている環境の変化だ。あの時は、バブルが崩壊していたとはいえ、まだ日本全体が高度経済成長時代の余韻があり、なによりバブル経済の残り香が強く感じた。その後の失われた10年、20年が続くとは誰も思っていなかっただろうし、だからこそ、政権交代という変化を望む空気も醸成されていった。

 

しかし、今は違う。すでに日本は下り坂だ。自民党がダメだから政権交代という、そういう単純な理由では野党が選ばれることはないだろう。ましてや2009年の政権交代時の失敗はまだ記憶の新しい。

 

 

国家ビジョンを示し、正しい政局を作り出せ

 

野党がもう一度、政権奪取することがあるとすれば、それはやはり、時代の世相を捉えた、新しい国家のビジョンを打ち出す時だろう。民進党と希望の党が合流する、その際に名称を「民主党」に戻す、立憲民主党が本家はこちらだと言って民主党を名乗れるか、まだ分からないなど、日々、様々なニュースが流れている。名前はもちろん大事だ。大事だが、こういうニュースばかりが流れては、有権者の信頼は得られないだろう。大事なのは一にも二にも、これからの国家ビジョンであり、あるべき社会の姿を語ることだ。そこが固まれば、自ずと政党の名前も決まってくることだろう。