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国民民主党 玉木代表の柔軟な発想が新時代を切り開く 既存の価値観に固執しない多党連立時代の芽

 

 

 

超長期政権を築いた安倍政権の是非

 

安倍首相が通算在職日数で史上最長となった。伊藤博文から始まる歴代総理大臣で最も長いが、このまま2021年9月末までの任期いっぱいまで務めると、3567日に達する。歴代2位となった桂太郎が2886日、戦後最長の佐藤栄作が2798日であるから、その長さは際立つ。最近でも長期政権を築いた小泉純一郎氏や中曽根康弘氏でさえ2000日にまで至らなかったことを鑑みると、今後安倍首相の通算在職日数を塗り替える政治家が現れることは難しいかもしれない。
ただ、「安倍一強」「一強多弱」と指摘されるように、この長期政権の裏側には野党の弱々しさがある。

 

かつて劇的な政権交代によって与党の座を手に入れた民主党政権も10年前の話だ。政権交代への期待感が高まったあの選挙ももはや過去の話。今では自民党が圧倒的な多数を獲得し、長期安定政権はまだまだ続く見通しだ。

 

 

政策論議を活発化させる野党共闘に期待したい

 

今夏の選挙後、野党第一党の立憲民主党を中心に国民民主党など4党派で構成する会派が生まれ、自民党と対峙する姿勢を見せているが、なかなか一枚岩になりきれないとする報道もある。大学入試改革に関連し、英語民間試験の実施延期など、国会論戦による成果も少なからずあった。

 

25日には、首相主催の「桜を見る会」をめぐる追及本部も設置され、野党が一丸となって問題を追及できる環境が整うのも、各党派が一つの野党最大会派としての責任として政権の緩みをしていくという気概の現れだろう。従来の追及チームから格上げされ人員が7倍となる76人にまで増えたというから、今後に期待したい。

 

長期政権による国家の舵取りに安定が仮にあるならば、安定政権の価値を評価できようが、桜を見る会に象徴されるように、政権の座につくことによって手に入れた権力を私的な部分にまで広げていってしまったことに弁解の余地はない。

 

国家のリーダーにこそ、謙虚であり支持者のみならず多くの国民への利益を考えることが欠かせないのはいうまでもないだろう。

 

 

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大きな塊にも様々な選択肢がある

 

民進党の崩壊から続く野党の一連の混乱の中で絶えず話題となる、元民進党所属議員を中心とする再結集への意欲は今後もまだまだ継続するだろう。まだまだ一つのまとまりになるには時間がかかるだろうが、時間かかることを危惧する必要はない。ことを焦って瓦解した勢力はこれまでにもいくつもあった。希望の党もそうであるし、民進党の誕生も自民党に対峙する勢力を作ることだけに執着したためにだったという見方もできる。

 

肝心なのは、どういった政策をどういったメンバーで実行していくか。「政権」という権力を目指すだけの烏合の衆では、同じ轍を踏むことになる。

 

現在、共同会派では毎週非公式に各党派の政策責任者が集まる。共同会派では法案の賛否は各党派で個別に決めることになっているので、会派で一体となっているわけではない。こうした状況を、野党の未熟さとして揶揄する声も聞こえてくるが、そういった声に惑わされる必要など一切ない。

 

共同会派が誕生して未だ数ヶ月。一朝一夕にいくはずもない。そうした議論を重ねてやがて大きな塊が実現すれば、それで良い。
今は、野党として責任ある行動に注力し、やがてくる次やそのまた次の選挙を見据えて力を蓄える時だ。

 

 

未来志向の柔軟な発想が新時代を切り開く

 

そんな中、国民民主党代表の玉木代表が、インターネット動画の収録で「一つの党になるよりも連立の時代になっている」と発言したと報じられた。頑ななまでに大きな塊に固執し、党内の主導権争いによって瓦解してきた過去の教訓を生かすならば、こうした柔軟な考えは一考に値する。

 

むしろ、多様な考え方を包含し、なおかつ従来の枠組みにとらわれることなく制作決定していくには良い方法かもしれない。玉木代表も「各党がカラーを出して力を合わせる方が多様化した社会に合っている」と述べている。

 

さらに言えば、政策ごとに賛成する党派が変わってもよいくらいだろう。政党ベースの政策決定ではなく、政策本位の議会運営がなされることもまたあっていいのかもしれない。

 

報道の見出しでは、党合流に「慎重」と報じられているが、むしろ新時代に即した柔軟な考え方と評価できるのではないだろうか。

 

誰のための政治を行うのか。永田町の論理ばかりに固執するのではなく、シュレッダーの切れ味などにとらわれることなく、国民の生活を第一に考えた政治が行われることを期待したい。