2月9日、「都市再生特別措置法等の一部を改正する法律案」が閣議決定された。この法案の肝は、都市で進行するスポンジ化への対応にある。
「都市のスポンジ化」とは聞きなれない言葉かもしれない。これは都市で、とりわけ中心部で空き家や空き地など、低未利用地が時間的、空間的にランダムに発生する状況のことを指し、日本特有の都市現象だとされている。
当事者が当事者意識を持たないスポンジ化現象
国土交通省では2年ほど前から、都市のスポンジ化への対応を検討し、このほど、都市再生特別措置法の一部改正という形で、世に問われることとなった。
空き家、シャッター商店街の問題はその不動産オーナーだけの問題ではない。その周辺の住環境、商環境にも負の影響を与える。
厄介なのは、当事者である不動産オーナーがその危機感を共有していない点にある。以前、都市計画を専門とする設計事務所が横浜市の空き家を調査したことがある。彼らの発表によると、実に7割近いオーナーは、自らの物件が空き家であるにも関わらず、売却はおろか、賃貸へ出すことすら検討せず、そのまま放置している状態にあった。
色々な理由が考えられるが、多くは減価償却も終わり、他に資産形成ができているために、空き家を急いで売却したり、賃貸に出したりする理由が見当たらない、つまり経済的に困っていないがゆえに放置できてしまうのである。これはシャッター商店街も同様である。日本中、いたるところでシャッター商店街が存在し、多くの人は「シャッターを閉めているくらいなら、安くても誰かに貸せばいいのに」と思っていることだろう。
しかし、実際にはシャッターが閉じたままなのは、その不動産オーナーがお金に困ってないからだ。シャッターを下ろしていても、家計が成り立っているのだ。
日本固有の問題をどう解くか
問題はこうした空き家、シャッター商店街が都市の中で、局所的しかも一定のまとまりを持って発生している点にある。加えて、その一定のまとまりが都市の中で、あっちに一つ、こっちに一つと、まさにスポンジの穴のように、点在している点にある。
都市計画関係の専門家の間で、都市のスポンジ化が話題になり始めたのは、2000年代後半から。従来、人口減少社会に到来によって、都市は外側からじわじわと縮んでいくと考えられていた。しかし、実際には、都市の大きさは変わらないまま空き家や空き地がランダムに出現するスポンジ化が進行しているのである。前述したように、スポンジの穴のように局所的に不経済な状況が出現することもあり、これまでの都市計画の文脈では解くことが難しい課題となっている。
方法論が根本から変わる
都市再生特別措置法の一部改正では、土地の所有権と利用権を分離した利活用、行政の関与や働きかけなどによって、スポンジ化した「穴を埋める」こと、あるいは契約的手法の導入やコミュニティ活動を推進する仕組みづくりによって、スポンジ化による「穴の発生を予防する」方策などが考えられている。これまで開発・建築行為の規制などの「入口」にとどまっていた都市計画制度を見直し、土地などの利用段階までを含めて管理するなど、従来の考え方を大きく変えていくことにもなりそうだ。
タクティカルアーバニズムに見る、小さく始めるアプローチ
海外では都市のスポンジ化という現象は見られないが、参考になる取り組みはある。それは「タクティカルアーバニズム」という運動だ。
従来の都市計画は、まず計画があって、実行・運営というプロセスを採用していたのに対して、タクティカルアーバニズムは異なる。まず行動なのだ。小さく始めて、プロセスを回しながら、トライ&エラーを繰り返しながら、仮説を検証し、ビジョンを作り上げていく。ITでいうところの、アジャイル開発に似ているかもしれない。
日本でも北九州に端を発したリノベーションまちづくりは今や燎原の火のごとく、日本中に広がり、熱海、仙台、草加、川崎、鳥取、和歌山と例を挙げればキリがないが、「小さく産んで、大きく育てる」従来の都市計画とは全く異なるアプローチによる都市再生が始まろうとしている。
合意形成こそ政治の技術
今回閣議決定された都市再生特別措置法の改正はこうした動きをサポートするものになるだろう。問題は行政、議会の慣れにある。従来の都市開発とはまったくアプローチが異なるため、これまでの方法論が通用しない。彼らが戸惑うのも無理のないことで、今後、大事なのは、この新しいアプローチへの慣れ、である。慣れていないのは行政や議会だけではない。ステークホルダーである不動産オーナーも、スポンジ化が始まっているエリアで生活する市民も、である。
まさに問われているのが政治のリーダーシップだ。世界的に見ても前例のないスポンジ化という問題を前に、日本の政治がどう向き合い、答えを出していくのか。イノベーションを政治が起こせるかどうか、そこが問われている。