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国に忖度するということ -愛媛県への現政権の仕打ちに見る忖度の原因-

 

 

 

愛媛県が文書を公開する


 5月末に、加計学園の獣医学部新設をめぐる問題にかかわり、国会の求めに応じて愛媛県が各種の文書を提出した。


 その中には、加計学園側から加計理事長が安倍総理に会ったという話があった旨が記載されている文書もあり、後に加計学園からそれが虚偽の発言であったという発表がなされるという一幕もあった。愛媛県が公開した文書は、これまでの政府の説明とは食い違う内容も含むものであり、愛媛県が嘘をついているのか、安倍総理らが嘘をついているのかといったことも取り沙汰される状況にまで発展したことは記憶に新しいだろう。

 いずれにしても、愛媛県としては加計学園とのやりとりに関わり記録を残していたということであって、後に検証が必要ということで、それを可能な限り公開したということである。対して、安倍総理以下、政府側は愛媛県の文書に記載されている事柄を否定するも、その根拠は一向に示していない。突き詰めると、「私たちが違うと言っているのだから、違うのだ」という以上のことは言っておらず、愛媛県の記録よりも自分たちの記憶の方が正しいと強弁しているだけなのだ。


 よほど愛媛県の文書が核心を突いてしまったのか、愛媛県の中村知事が倒閣運動をしているとの声すら聞こえてくる。そのような中で、自分たちの意向に沿わないところには厳しく対応するということで、現政権は愛媛県に対して、とある仕打ちを行ってきた。

 

 

現政権の愛媛県に対する仕打ち


 愛媛県が国会に対して文書を提出した後の5月29日から30日にかけて、愛媛県は国の省庁等に要望を行っている。

 

愛媛県庁/国の施策等に関する提案・要望について

 

 上記の愛媛県のWebサイトのページを見て欲しい。このページには、「平成28年度要望」から今年行われた「平成31年度要望」までの様子と要望および提案書が掲載されている。中村知事と訪問先の省庁の対応者の写真も掲載されている。

 

 これを見ると、本年の「平成31年度要望」とその他の年度との大きな違いを見つけることが出来る。それは、省庁で対応に当たったのがこれまでは大臣であったのが、本年は副大臣や政務次官、事務次官に「格下げ」されていることだ。


 これまでも、いつくかの省庁で副大臣が対応にあたったこともあるのだが、基本的には大臣が要望を受ける場面の写真が掲載されている。それが本年は軒並み副大臣以下による対応となっており、一度として大臣の対応を愛媛県の中村知事は受けていないのだ。


 一か所であれば、大臣の所要により都合がつかなかったということも考えられるが、軒並み大臣が出て来ていないということは、示し合わせてそうしたということである。大臣を動かせるということは、それよりも上位のところから指示がある必要があり、それはつまり総理大臣の意を汲んで官邸からの指示があったということだ。愛媛県の要望については大臣の対応としないという明確な現政権としての意思表示がここにはある。

 

 

国に忖度するということ


 これまで大臣が受けていた要望を今回は副大臣以下で受けるという愛媛県が受けた仕打ち。この後は、要望や提案の具体的な中身についても無視をされるということも当然に考えられる。


 こういうことをされるからこそ、地方自治体は国に忖度をすることになる。国が何か間違ったことをしていても、与党の政治家による何らかの介入があっても、それを唯々諾々と受け入れるのも、それに反発しようものなら、こうして報復的な扱いを受けることになるからである。


 愛媛県の中村知事とて、このような仕打ちを受ける可能性に考え及ばなかったわけではないだろう。それでも、愛媛県として、その仕事に誇りや自信をもっているからこそ、文書の公開にも踏み切ったということは明らかだ。国への忖度を行わないという判断を中村知事がしたということそれ自体が極めて重いものであった。

 

 

愛媛県に対する国の姿勢に注目


 有形無形の様々な方法で国は地方を縛り付けている。地方もその構造を知った上で、忖度を行うことで不利を被ることを避け、出来れば支援などを取り付けようとする。この構造を前提として、今回の愛媛県の中村知事の英断を見るべきなのだ。


 文書公開後の早々に大臣が要望を受け取ってくれないという仕打ちを受けることになったが、今後はさらに愛媛県にとって都合の悪い仕打ちを国から受けることになるのかもしれない。そのような仕打ちが続くとしたら、それは裏を返せば、加計学園問題について愛媛県が行った文書公開や中村知事の発言が核心を突いているということである。


 加計学園問題は、国会が閉会すれば徐々にほとぼりも冷め、国民の記憶からも消えていくのかもしれないが、その一方で国による愛媛県への「報復」は見えないところで積み重ねられていく可能性がある。この「報復」行為を私たちは見落としてはならない。