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「桜を見る会」を安倍首相が私物化 長期政権の緩みはそこかしこに現れている

 

 

 

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誰のための「桜を見る会」なのか

 

信州伊那、高遠城址公園は、さくら100選にも選ばれ、「天下第一の桜」とも称される日本屈指の桜の名所と知られる。ここ高遠では、ソメイヨシノではなく、タカトオコヒガンザクラが咲き誇り、毎年20万人とも言われる観光客が訪れるという。

 

この高遠城を拠点に江戸時代、この地域一帯を治めた高遠藩の江戸下屋敷が置かれた場所が、現在の新宿御苑であった。
新宿御苑もさくら100選の一つ。今話題の総理主催の「桜を見る会」が催される会場である。

 

「桜を見る会」自体は、戦前の皇室主催の観桜会にそのルーツはあるが、戦後、昭和27年に当時の吉田茂首相が復活させてから総理主催の恒例行事となった。毎年各界の著名人、約1万人が招待されるイベントとなっている。

 

この「桜を見る会」を安倍首相が私物化していると国会で問題視されたのをきっかけに各方面で話題になっている。この会に、自身の後援会や支援者を呼んでいるというのである。安倍首相は、招待者の取りまとめに関与していないと述べているが、長期政権ゆえの緩みを指摘されても仕方ない。

 

開催要領には、招待者の対象は、皇族や各国大使、国務大臣、国会議員らの他に、「その他各界の代表者等」と記されている。

 

仮にも国政を預かる代表であるならば、総理主催のイベントに、自らの支援者を集めて票固めをするなどもってのほか。さらに党所属議員にも招待客の割り当てがあるというから、「桜を見る会」の本来の主旨は、支持者を満足させるためのものだったというべきだろう。

 

 

1700万円の予算に5000万円の支出


報道によれば、これまで1万人前後で推移していた参加者数が急増しているという。それに伴い支出も大きく膨らんでいる。ここに問題がある。

 

政府が計上する毎年の予算額は約1700万円。ここ数年、予算額はほぼ同額だ。一方支出額はというと、2014年に3000万円を超えてから、翌年には3800万円、2018年にはなんと5200万にものぼっている。この短期間で予算額は変わらずに、支出額がとんでもない伸び見せており、しかも予算に対して3500万円もオーバーしてしまっている。

 

日本の一般会計100兆円の内訳にしてみれば微々たる数字かもしれないが、税金の使い方としては、この数字は誰が見てもおかしいと指摘するだろう。一事が万事。ほんの些細な予算執行であっても、国民から集めた税金をこのように使ってしまうその神経に、多くの国民が危機感を抱いたことだろう。

 

さらに報道によると、会場設営と飲食物の契約だけで4000万円を超えているので、そもそも当初計上している予算額の設定がいかにずさんかがわかる。

 

放っておけばいくらまで支出を増やし、支援者接待が続いたかと思うとそれは恐ろしい。

 

 

後継組織として真摯に対応する国民民主党


今回、厳しく安倍首相を追及する中にもかつての主催者はいる。民主党政権時にはどのような運用になっていたかを振り返ると、実は1回しか行われていなことがわかる。これは、開催そのものや予算を見直したということではなく、鳩山政権時に開催された翌年は東日本大震災の発生直後、その翌年は北朝鮮によるミサイル発射の影響というそれぞれの理由で開催が見送られた。

 

組織体として民主党の後継組織である国民民主党の玉木代表は、鳩山政権時の「桜を見る会」開催時のことについて記者会見で触れている。当時は各議員四人の推薦枠があり、玉木代表自身も「お世話になった方々を連れて行った」という。会を取り仕切る内閣府から受け取った文書には、招待者の名簿を「電子データ」で提出するよう求められていたといい、過去に情報公開請求で一部公開した例があることを理由に、「氏名や役職を含めて名簿全体を公開するということも考えられます」と書かれていたという。

 

公開を前提に招待者がリストアップされていたことがわかる。さらに「国民から疑惑を持たれないよう、十分に配慮して選考してください」とも書かれていたといい、官僚側としては、長年の慣例として開催されてきた「桜を見る会」が政治家にとって都合が良いものにならないように配慮した文章を書き加えていた様子がうかがえる。

 

玉木代表はさらに、「民主党政権時代も含め、選考は基準が曖昧なところがあるのも事実」と認めており、かつての民主党政権時の反省も交えつつ、「事実関係を明らかにし、廃止も含めて検討」すべきとの考えを表明している。

 

 

日本の政治のレベルが試されている


総理主催のイベントとして、一定の役割を果たすことも期待できるだけに、単なる政局の道具として廃止が検討されるのは本来のあるべき議論ではない。総理主催の公式行事として国内外に良い効果を期待できるイベントであれば、公平公正に開催されれば良いだけの話だ。

 

当然のことながら、国会議員がお世話になった人を呼ぶようなイベントでは意味がない。国内外から各界の著名人を招き、懇親の機会とするのも決して悪いことはないはずだ。健全に税金が使われているかを改めて精査し、政治家の私利私欲が混じらぬ体制での運営ができるのかどうか。これを検証し、さらに発展させられる議論ができるかどうか。日本の政治のレベルが試される問題だ。