霞が関から見た永田町

霞が関と永田町に関係する情報を、霞が関の視点で収集して発信しています。

MENU

大阪の地震でキラリと光った吉村市長、アラフォー最強説も

 

 

 

6月18日7時58分ころ、大阪府北部を震源とするマグニチュード6.1の地震が関西エリアを襲った。小学校の擁壁が崩れ、小学生の児童が亡くなるなど悲しい事故が起きたもの、最大震度6弱の地震の割には、被害はそれほど大きくなさそうだ。

 

とはいえ、改めて大都市特有の災害への備えについては再検討が必要そうだ。やはりなんといっても帰宅難民だ。今回、地震が発生したのは7時58分。ちょうど通勤の時間帯。ネットでもかなり話題になっていたが、「出社命令があった」というする投稿がtwitterに相次いだ。

 

 

出社命令にtwitterには「なぜ?」の声


地震の発生直後は被害はどの程度なのかはまだ分かっていなかった。道路や鉄道に何か決定的な事故が発生していたら、出勤難民が発生してもおかしくない状況の中での出勤命令は果たして正しかったのだろうか。大きな事故はなかったものの、主要鉄道のダイヤは終日乱れた。新幹線が運転を再開したのは午後2時58分、朝、東京駅を出発した新幹線が新大阪駅に到着したのはもう夕方だった。

 

このような状況だったため、朝、出社できた人たちが結局は帰宅難民となった。帰宅時間になっても主要路線が運転を再開していなかったからだ。淀川にかかる新淀川大橋を渡って、大阪中心部から北部まで歩いて帰ろうとする人たちで大混雑し、その様子はテレビに繰り返し映された。

 

 

結局、帰宅難民が発生した


結局、大阪メトロ御堂筋線が運転を再開したのは21時40分、JR大阪環状線の再開は22時10分。駅にはタクシーを待つ長蛇の列もできた。

 

この日発生した帰宅難民は企業サイドの判断ミスではなかっただろうか。この状況で果たして企業としての生産性は維持できたとは思えない。クタクタになりながら帰宅して、家の片付けなどもあったであろうことを考えると、この日は自宅勤務、自宅待機に切り替えるという方法もあったはずだし、東日本大震災の時に私たちはそれを学んだと思っていたが、その教訓が生かされたとはいいにくい。

 

 

全校休校を迅速に決定した大阪市長


そういう状況の中で、目立ったのは政治のリーダーシップだった。大阪市長の吉村洋文氏。地震発災直後からtwitterを通じて、適切な情報発信は大きな話題を呼んだ。もちろん単純な情報発信だけではなく、災害対策本部の立ち上げ、市内における被害状況の把握と、行政のトップとしての意思決定の早さも目立った。

 

そして、何より今回の彼の意思決定の速さと的確さを表すエピソードが「大阪市内の保育所、幼稚園、小学校、中学校、高校に対する休校の指示」である。既に登校してしまった児童については「学校で身の安全を確保する」旨をスピーディに発信した。休校といっても、「もしかしたら学校で授業があるのでないか?」と思うのが生徒の心理だ。そういう児童・家庭に対しても「今日、授業をやったとしても、正式の授業数にはカウントしない。安心して学校を休んで大丈夫」だともtwitterで発信している。大阪市内の企業が従業員に対して「出社指示」を出したのは非常に対照的だった。

 

こうした吉村市長の適切な対応にインターネットで賞賛の声が上がるのは当然のことだし、アラフォー最強説まで流れたほどだ。

 

 

アラフォーが多い自治体トップ


実は社会の世代交代は必要ではないか、というのは筆者も常々感じてきたところだ。首都圏では行政のマネジメント能力では定評のある、熊谷千葉市長もアラフォーであるし、最近、最強地方都市としての呼び声高い福岡市長の高島氏もアラフォーである。

 

そういえば、高島氏も以前、福岡市中心で道路が大陥没した際も、前例がないほどのスピード感で建設業者などを取りまとめて、道路を復旧させている。あの時の迅速な行動は政治業界を大いに驚かせたものだった。

 

よくよく目を凝らすと、地方都市のリーダーは40代のリーダーが結構増えており、今回の地震でも、的確で、素早い判断が目立ったのは決して偶然ではないだろう。今回の大阪の地震は不幸中の幸いだが、その中になって未来へ明るい希望の光が見えるキッカケにもなったように思う。さて、翻って永田町はどうだろうか。いささか、不安を覚えずにはいられない。