霞が関から見た永田町

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国会のあり方を抜本から見直せ

 

 

 

「経済は一流、政治は三流」。1990年代の日本を表現した、あまりにも有名なフレーズだ。30年が経過し、残念ながら経済も一流の座から転げ落ちてしまい、政治は相変わらず三流のままだ。

 

国会の会期が7月22日までの32日間の延長になったが、この時の野党の反応は目を覆わんばかりだった。その代表が立憲民主党だ。国対委員長を務める辻元清美衆議院議員は、「政府、与党は会期内に審議を終わらせる責任がある。唐突に、自己都合で会期を延長すべきではない」と発言した。

 

 

時代から取り残される永田町


こういうコメントにうんざりしている有権者がほとんどではないだろうか。確かに安倍政権の国会運営はとても丁寧とは言えない。しかし、一方でGWの前後で審議拒否を行って、結果的に「国民が一生懸命働いている時に18連休とは」との批判も浴びたし、国会復帰後のIR法案の審査では「審議時間も十分に取らず、拙速だ」との与党を批判するも、「国会をサボっていたのは、野党じゃないか」という声が少なからず、ネットを中心に上がった。


今の安倍政権の緩み、おごりを見るにつけ、健全なる野党、政権交代可能な野党の出現は待ち望まれるところだが、肝心の野党の頭の中が未だに55年体制の、古い時代のままであるところが最大の問題だ。野党の戦術はある意味、一貫しているし、55年体制が確立した時から、その手法は変わっていない。それは日程闘争と、廃案を目指すというもの。

 

 

ザ永田町の論理


だから、ある時は「国会を延期せよ。早々に閉じるなんて国会軽視だ!」と言ってみたり、またある時は「会期内で国会を閉じるのが与党の責任だ!」と真逆のことを言ったりする。言っている、当の本人は自分たちの発言が矛盾しているなど、これっぽっちも思っていないのが、永田町の常識は世間の非常識と呼ばれる所以である。「国会は日程闘争」という常識に照らしわせれば、その果実が得られれば、発言の中身は関係ないのである。

 

確かに昔はそれでよかったかもしれない。しかし、国内を見ても少子化・高齢化社会の様々な歪みが社会のそこかしこに見られ、海外に目を向ければ、シンガポールで米朝会議が開催されるなど、国際情勢が大きく変わろうとしている時に、果たして今のままの国会でいいのだろうか。

 

 

野党が心を掴めないのは仕方ない


野党がいつまで経ったも有権者の心を掴めないのは、こういうところにある。もっとはっきり言えば、国民の心は永田町から離れきっていると言っていいだろう。今こそ、与野党が立場を越えて、行政への監視機能を果たしながら、日本の行く末とあるべき姿、それを実現するための戦術を議論して欲しいところだ。

 

その問題意識を持っている政治家はもちろん、永田町の中にいるだろう。政党支持率や、テレビ映りなど気にせず、あるべき姿を目指して欲しいところだ。

 

 

野党が玉木代表を批判する滑稽さ


そう言えば、過日の党首討論で国民民主党の玉木代表は安倍首相に対して政策論争を挑んだ。その討論は安倍首相をたじろがせていたし、見応えもあった。純粋な政策論争での批判だったからであろう、安倍首相は討論終了後、他の野党党首には目もくれず、玉木代表に握手を求めた。ところが、こうしたことが他の野党から「国民民主党とは一緒に戦えない」という声が上がる始末だった。もう末期的というより他ないだろう。

 

残念ながら国民民主党はまだ政党支持率が低い。こういう状況で統一地方選挙を迎え、参議院選挙を迎えると、党勢が大きく伸びる見込みは薄い。そこは国民の政治リテラシーが問われるところだが、残念ながら、そのリテラシーは決して高いとは言えない。

 

 

真剣に国の行く末を議論して欲しい

 

とはいえ、先にも述べたように日本を取り巻くアジアの情勢は大きく変わり始めている。在韓米軍の縮小の方向が見えている中で、日本はどうするのか。少なくとも、安全保障や外交をアメリカに任せていれば事足りた時代は終わりを告げている。

 

政権交代を本気で目指すのであれば、野党こそ、政策の本気度が問われるのである。いつまでも、国会の悪習の中で、永田町の論理の中で戦っている場合ではないのである。