霞が関から見た永田町

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安倍政権は自ら掲げた「行政保有データの100%オープン化」を忘れるな -政府の情報は国民のもの-

 

 

 

森友学園に関する情報公開に関する国家賠償訴訟

 

 2017年5月に、神戸学院大学の上脇教授は森友学園の設置趣意書と賃貸借契約書の情報公開請求を近畿財務局に対して行った。
 その結果は一部非開示であり、核心をなす情報は黒塗りされていて判然としなかった。その理由は、「経営上のノウハウ」に当たるからということであった。そこで、上脇教授は非開示処分の取消を求めて大阪地裁に提訴したのだが、一転して、近畿財務局は非開示部分を開示した。
 これに対して、上脇教授は情報公開請求権を不当に侵害されたことを事由として国に慰謝料を求める国家賠償訴訟を新たに起こしていた。
 その一連の経緯や裁判での上脇教授の陳述は自身のブログで公開されている。

 

blog.livedoor.jp

 

 

 慰謝料を求める裁判の判決が3月14日に大阪地裁であった。
 判決では、非開示とした財務省近畿財務局の判断について、「(趣意書の)教育理念は概括的かつ抽象的で、実質的に公になっている。同じ校名を使用した学校は他にも存在し、独自性はない。近畿財務局長はなんら合理的根拠がないのに誤った判断をした」と述べたと報じられている。

 

www.asahi.com

 

 

 ここで、見逃してはならない事実が存在する。先の上脇教授による慰謝料請求の裁判で行われた口頭弁論で、近畿財務局の岸山敏浩前総務部長が開示手続きについて「異例な点はなかった」と証言したことである。

 

this.kiji.is

 

 

 森友学園にかかわる情報の開示ということで、その判断にあたって安倍総理を慮るようなことはしていないということで異例な点はないと答えたのだろうが、その判断に合理的根拠がなかったと裁判所に認定されてしまったことになる。安倍総理に対する忖度の有無にかかわらず、「知らせるべきではない」という判断そのものに誤りがあったと裁判所が認めたということである。
 岸本氏が言うように「異例な点がなかった」のであれば、合理的根拠なく非開示にするということが近畿財務局では常態化していたということになる。安倍総理に忖度して非開示にしたというのであればそれはそれで大問題であるが、そうではなく、単に非開示にして、そこに異例な点がないということであれば、国民に対して本来開示すべき情報がこれまでも異例とされずに非開示とされてきたということであり、問題はより根深いと言わざるを得ない。

 

 森友学園問題と関連していたため、焦点がそちらに行きがちだが、期せずして日本の行政組織における情報公開の判断に関わる問題点が浮かび上がったということではないだろうか。

 

 

行政保有データの100%オープン化

 

 3月15日に行われた参議院予算委員会では、国民民主党の川合孝典議員が麻生財務大臣に上述の判決に関して質問を行った。それに対して、麻生大臣は「判決の内容を精査して、関係省庁と今後の対応を検討したい」と答えた。

 

mainichi.jp

 

 

 これは、判決が出たばかりの段階での答弁としては模範解答といえるだろう。上訴することも含めての「今後の対応」だと思われるが、安倍政権では、以下の原則を掲げていることを、あらためて確認して欲しいところである。
 その原則とは「行政保有データの100%オープン化」である。

 

 ここで「行政保有データ」の「100%オープン化」であって、情報公開の100%の実現ではないとの反論も聞こえてきそうだが、その反論は反論には当たらない。
 情報公開請求を行う場合には、行政が保有する文書を公開請求の対象とする。この行政文書には行政が保有するデータが化体されているのであって、そのデータの100%オープン化を目指すということは裏返しとして情報公開も今まで以上に進めるということである。
 近畿財務局の岸山氏は非開示について「異例な点がなかった」と答えていたが、そもそも非開示は例外的でなければならず、非開示自体が異例であるという姿勢で事に当たることが求められているのだ。
オープンデータという取り組みの文脈において、安倍政権では上記の原則を「世界最先端デジタル国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」の中で掲げている。

 

 「行政保有データの100%オープン化」の原則やオープンデータの取り組みの背景には、政府が保有するデータや情報は国民のものであるという考え方がある。それもそのはずで、政府の活動を支えるのは私たちが納めた税金であるからだ。
 何かと隠蔽体質の強い安倍政権であるが、少なくとも自らが掲げた原則程度は守るべきである。そうでなければ、税金を払う国民を裏切ることにもなることを忘れないで欲しい。