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地方議員の年金復活、イエスかノーか

 

 

 

「国民の理解が得られないまま進めれば、来年の統一地方選や参院選に影響が出かねない」。こんな理由で与党・自民党は地方議員年金の議員立法の提出を断念したという。

 

自民党が検討していた地方議員年金の仕組みは後述するとして、法案提出を断念した理由が噴飯ものである。「来年の選挙に響く」という理由。その視線は国民ではなく、あくまでも自分たちの選挙に向けられている。

 

このことに対して、本来は国民はもっと怒っていいはずだ。選挙が理由であれば、選挙が終われば、またぞろ、地方議員年金の復活の話が出てくるのは必定。私たち国民はこの国の政治のあり方に今一度、向き合う必要があるだろう。

 

 

非常勤なのに厚生年金に加入できる厚遇


地方議員年金の仕組みはこうだ。地方議員は法律上は特別職公務員で、厚生年金の対象ではない。教育委員など非常勤の公務員と同じ位置付けで、彼らもまた、厚生年金の対象ではない。ところが地方議員に限って、特別に厚生年金の加入資格を与えようとするものだ。

 

その理由が「地方議員のなり手不足」と自民党は説明するが、これに納得できる国民が果たしてどれくらいいるだろうか。自民党の理屈はこうだ。地方議員のなり手が少ないのは、老後に不安があるからだ、というもの。つまり国民年金では老後の生活は成り立たないと言っているわけだ。

 

今、年金制度そのものが揺らいでいる中で、国民年金に依拠している国民がたくさん、いる。地方議員の老後が不安というのであれば、国民もまた、老後が不安なはずである。そこへの手当てなり、解決策を提示しないまま、なぜ、地方議員だけ厚生年金への加入を認めるという、特別扱いをするのか。

 

ちなみにこの制度が実現した際の、自治体負担は年200億円。これからは公費、税金で賄うことになる。

 

 

世界のスタンダードは・・・


やはり、今問われているのは地方議員のあり方そのもの、だろう。国の成り立ちが違えば、仕組みが違うのは当然だ。従って、世界との単純な比較は若干乱暴な面はあるにせよ、世界的に見れば、地方議員は基本的にはボランティアが前提である。それはヨーロッパもアメリカも共通だ。弁護士や会計士、教師といった、一定の専門性をもった人材が地方議員を兼務し、その専門性を議員として活かす、というのが欧米のスタンダードだ。

 

日本の財政が豊かで、中間コストにふんだんにお金を使えるならいざ知らず、すでに日本は人口減少社会に突入している。ただでさえ世界的に見ても国民一人当たりの生産性が低い国において、人口のグロスが減っているのだ。


しかも、女性の労働環境も悪い。色々なものが財政難を理由にカットが始まっている中で、なぜ、議員年金だけは優先的に歳出に計上しようとするのか、なかなか国民の理解を得られないだろう。なり手不足というが、それを言い出せば、介護も農業も、大工も、あらゆる分野で人材が足りない、なり手がいないと言われている。

 

 

何もなり手不足は地方議員だけではない


農業や介護は私たちの生活に直結する問題だ。なり手不足という意味では、こういう食べる、生きることへの手当てこそ急務といえるだろう。政治は尊い仕事だと思うが、一方でおそらく、いなくても困らないとも言える。極論ではあるが、政治家とはそういう存在だ。

 

年金を手厚くすることで地方議員のなり手が増えるとも思えないが、仮にそうだとしても、今考えるべきはそもそも、今の数の地方議員をこの先も維持できる社会なのか、ということである。問われているのは、この国の未来であり、この国も未来の地方自治のあり方である。

 

残念ながら、この件で明確に与党・自民党を批判しているのは、日本維新の会くらいだ。彼らは「政治家の厚遇・優遇でしかない」とはっきりと言い切っている。議員年金の復活の議論は、おそらく、来年の参議院選挙が終われば、またぞろ、首をもたげてくるだろう。問われているのは有権者のリテラシーだ。