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「バーンスタイン生誕100周年」に寄せて ―音楽教育のあり方をもっと議論すべきだ―(2/2)

 

 

 

芸術教育に関する事務は文化庁に移管

 

 さて、音楽教育の話になったところで、今の日本の現状がどうなっているか、気になるところである。

 

 実は、先の196通常国会において審議され、成立した「文部科学省設置法の一部を改正する法律案」(政府提出)に音楽教育に関する重要な改正点が含まれていた。

 

 その一つは「芸術に関する教育に関する事務を文部科学省本省から文化庁に移管することにより、芸術に関する国民の資質向上について、学校教育における人材育成からトップレベルの芸術家の育成までの一体的な施策の展開を図る」というものである。

 

 これは、具体的には「小学校の『音楽』『図画工作』、中学校の『音楽』『美術』、高等学校の『芸術(音楽・美術・工芸・書道)』等に関する基準の設定に関する事務を文化庁に移管する」ということである。

 

 この文字面だけを見ると、大変けっこうなことであり、京都に全面的に移転する文化庁でしっかりやるべきだとコメントするくらいしかなさそうである。

 

 今年の6月6日に開催された参議院の本会議で法案の審議が行われているが、音楽教育に関するやり取りの部分をピックアップしておこう。

 

(大島九州男議員:国民民主党)
これまで文部科学省本省で所管していた、図工や美術、音楽などの芸術に関する科目を文化庁に移管するということですが、児童生徒の健やかな成長にとって文化芸術に関する教育は大変重要です。学校教育において学習指導要領を基に取り組まれているこれらの教育の質は果たして上がるのか、文化庁に芸術教育に関する事務を移管することの目的、効果をどのように考えているのか、お示しください。


(林芳正・文部科学大臣)
 次に、芸術に関する教育の事務を移管する目的、効果についてのお尋ねでありますが、今回、芸術に関する教育の基準の設定に関する事務を文化庁に新たに移管することによりまして、今後、学校教育としっかりつながる形で、全ての子供たちへの芸術に関する教育の充実や文化芸術の振興、トップレベルの芸術家育成等を一体的に担い、国民の文化芸術に関する素養の更なる向上と文化芸術を担う人材の育成強化を図りたいと考えております。


 文部科学省としては、本改正により、文化庁が培ってきた専門的な知見やネットワーク等を今まで以上に活用することで、芸術や芸術文化と豊かに関わる子供たちの資質、能力を更に高めるとともに、文化芸術の新たな担い手の育成にもつながるなど、文化と教育の両分野における施策の一体的、効果的な推進を図ることができると考えております。

 

(神本美恵子議員:立憲民主党)
次に、改正案では、学校での芸術に関する教育の基準の設定に関する事務を文科省本省から文化庁に移管し、芸術教育の充実を図るとしています。しかし、芸術科目の授業時数は徐々に減らされてきています。例えば、一九八九年には小学校六年間で四百十八こまあった音楽の授業時数は、二〇二〇年の学習指導要領改訂時には三百五十八こまにまで減る予定です。美術もしかりです。


 このように、文化や芸術に関する芸術教科を政府が軽視している現状がありますが、文部科学大臣はそのことを認識されていますか。この現状の中で、果たして文化庁に移管することでどのように充実改善されるのか、甚だ疑問です。いかがですか。文部科学大臣に伺います。


(林芳正・文部科学大臣)
 次に、学校での芸術科目の授業時数に関するお尋ねでございますが、小学校音楽の授業時数については、平成元年改訂の学習指導要領では四百十八時間ですが、平成十年改訂の学習指導要領では三百五十八時間となりました。これは、完全学校週五日制の実施や総合的な学習の時間の創設などに伴い、各教科の授業時数を削減したためでございまして、芸術に関する教科を軽視したものではございません。


 なお、音楽の授業時数は、その後の二回の改訂では維持をされております。
 今回の法改正によりまして、文化と教育の両分野における施策の一体的、効果的な推進を図るとともに、文化庁の知見やネットワーク等を生かした芸術に関する教育の推進について一層取り組んでまいりたいと考えております。


 次に、文化庁への芸術教育の移管によってどのような芸術教育の改善充実がなされるのかのお尋ねでありますが、これまでも、文化庁におきましては、子供たちの優れた文化芸術の鑑賞、体験期間がより充実するよう取り組むとともに、伝統文化、生活文化を体験、習得できる機会の充実を図ってきたところでございます。


 文部科学省としましては、本改正により、文化庁が培ってきた知見やネットワーク等を学校における芸術に関する教育と有機的に結び付け、今まで以上に活用することで、芸術や芸術文化と豊かに関わる子供たちの資質、能力を更に高めるとともに、文化芸術の新たな担い手の育成にもつながるなど、文化と教育の両分野における施策の一体的、効果的な推進を図ることができると考えております。

 

 

音楽教育のあり方についてもっと議論を

 

 確かに、音楽の時間が減っていることは間違いないようだ。ただ、学校週5日制の実施があり、「英語教育もしっかりやれ」「理数系教育も怠るな」「消費者教育やお金に関する教育が不十分だ」「ITやプログラミングもちゃんと教えろ」というような要求も多い中で、子どもたちの関心を高めながら、音楽の授業を効率的に効果的に行っていくかという課題はある。


 大臣の答弁を見る限り、小中学校などの音楽の授業が今までとどう違ってくるのか、具体的なイメージがつかめない。あるいはトップレベルの芸術家育成にどうつながるのか。これらの点はしっかりフォローアップしていく必要があるだろう。

 

 一般論になるが、音大を出ても、プロの演奏家などになれる可能性はかなり低い。しかも幼少の頃から楽器を習い始め、死に物狂いでやってきた人が多い中での話である。音楽教育のための海外留学も珍しくない。音楽を専攻した場合、幼少期からの習い事も含めて高額の費用がかかる割には、最終的な就職先に恵まれないことの多いのが実態である。

 

 「音大を出てもオーケストラに就職できるのは学年でせいぜい1人」「たまたまフルートのパートが空いていて、入れた人がいた」というような実情を関係者から聞いたことがある。


他方で、音楽とは関係のない一般企業などに就職しても、「音大生は十分に通用する」「厳しいレッスンに耐えてきて礼儀正しい」「普通は使わない脳を駆使してピアノの楽譜を読みこなし、演奏してきた能力はどこでも通用する」など音大生を高く評価する声もある。


 プロの演奏家にはなれなかったけど、市民オーケストラの一員として活動する音大卒業生も少なくない。文化芸術の振興に資するものであり、高く評価されて良いだろう。忙しい仕事がある中で練習に励んで、演奏会をこなすことにはかなりの困難が伴うはずだ。

 

 余談になるが、音楽教育というのは、政治的な影響を受けやすい面がある。特に独裁的な国になるほど、音楽の授業においてイデオロギー色の強い楽曲が強要されたり、芸術家の活動に対して厳しい制約が課せられたりする。


 明治維新後の日本は「欧米に学べ」と必死で近代化に取り組むが、音楽の面においても同様だった。昨年2017年は伊澤修二(1851年-1917年)の「没後100周年」を迎えた。伊澤修二は、東京師範学校(現在の筑波大学)の校長と東京音楽学校(現在の東京芸術大学の音楽部門)の初代校長をつとめた人物であるが、唱歌の作曲なども行っている。アメリカの師範学校に留学し、音楽教育の近代化に尽力した人物である。


 「唱歌」などには昔の音楽教育の名残を感じさせるものが多い。外国の原曲に勝手に日本語の歌詞をつけたり、「愛国的な立派な大人になれ」みたいな文脈の歌詞があったりする。今あらためて、音楽教育にそうした政治的な意図が入り込む余地はほとんどないと思われるが、音楽が国民の統制の手段としても使われたことを想い起こすことは無意味ではない。


 バーンスタインが子どものための音楽教育にも熱心だったというところから、日本の音楽教育のあり方まで話が行ってしまった。いずれにせよ美術も含めた芸術教育、あるいは技能教育のあり方などともあわせて、音楽教育についてはもっと議論があっていいだろう。拙速な結論付けは避けるべきだが、こうしたテーマについて積極的に議論すること自体は有益だと思う。