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「バーンスタイン生誕100周年」に寄せて ―音楽教育のあり方をもっと議論すべきだ―(1/2)

 

 

 

バーンスタインにちなんだ催しものが各地で開催

 

 今年はレナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)に関する催し物が各地で開催されている。バーンスタインは、1918年8月25日に生まれ 、1990年10月14日に亡くなっているから、まさに今年は「生誕100周年」に当たる。

 

 よその地からやってきてアメリカに滞在し、そこに住み着いて、活躍した音楽家はけっこういた。チェコ出身のアントニン・ドヴォルザーク(1841年-1904年)が作曲した『交響曲第9番(新世界より)』は、アメリカ滞在時代における主要な作品の一つである。革命後のロシアを脱出したセルゲイ・ラフマニノフ(1873年-1943年)は、アメリカのピアノメーカー・スタインウェイ社とタイアップして、全米演奏旅行を展開した。

 

 両親はウクライナ生まれのユダヤ人で、アメリカへの移民であるが、バーンスタイン自身はアメリカ生まれである。それだけに、アメリカが生んだ初の世界的規模の指揮者として、音楽家として、アメリカだけではなく、ヨーロッパを含む世界各地において活躍をした。

 

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カラヤン、バーンスタイン、ムラヴィンスキー

 

 他にも取り上げるべき人物はたくさんいることを承知の上で、20世紀の偉大な指揮者を出身や活躍の地域と結びつけて、象徴的な人物を敢えて選ぶとすると、以下のようになるだろうか。3人とも同じくらいの時期に亡くなっている。


 欧州--ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908年-1989年:ベルリンフィルの終身指揮者・芸術監督などをつとめる)、アメリカ--レナード・バーンスタイン(1918年-1990年)、ロシア・ソ連--エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903年-1988年:レニングラード・フィルの常任指揮者などをつとめる)

 

 カラヤン、ムラヴィンスキーと比べると、バーンスタインは活動の範囲が広く、10年ほどニューヨーク・フィルの音楽監督をつとめただけではなく、ウィーン・フィルをはじめとする欧州の交響楽団、イスラエル・フィルなどを指揮することも多かった。

 

 さらに指揮者だけではなく、作曲家、演奏家としての活躍も目覚ましく、世界の大スターとして不動の地位をものにしていた。また、『ウェストサイド物語』で使われた音楽作品にも見られるように、クラシックのみならず、ポピュラー音楽なども手がけていた。

 

 アメリカの音楽界は、クラッシック音楽と映画音楽などポピュラー音楽の境目が厳然としていないところもあり、バーンスタインのように、クラッシック、ポピュラーの両方の世界で活躍した人物も珍しくない。他には、ジョージ・ガーシュウィン(1898年-1937年)、アーロン・コープランド(1900年-1990年)などをあげることができるだろうか。

 

 さて、バーンスタインの主要な活動業績の一つとして忘れてはならないのが、ヤング・ピープルズ・コンサート(Young People's Concerts)への取り組みである。子どもたちに音楽に親しんでもらう視点を重視した、ニューヨーク・フィルによる演奏会であるが、バーンスタインが監督して、進行をしているものは大変評価が高い。

 

 YouTubeにも動画が出ていて、見ることができる。オーケストラを使った、音楽の基礎に関する分かりやすい説明があり、今の時代になって、大人が見ても十分楽しめ、ためになるものである。世界超一流の指揮者であるだけでなく、こうした子どもたちの音楽教育にも、貴重な時間を割いて、熱心に取り組んでいたバーンスタインの生き方には敬服しないではいられない。