安倍総理の面談録作成せず
毎日新聞が安倍総理と省庁幹部らとの面談で使われた説明資料や議事録などの情報公開請求を行い、その結果、「不存在」とされた旨は既に報じられたことである。
この件に関係して、3日の記者会見で菅官房長官は安倍総理の面会記録を作成していないことを認めた。
作成したけれども短期間のうちに廃棄したというわけではなく、そもそも作成自体していないというのだから、開いた口が塞がらない。
森友・加計学園問題をめぐる経緯を思い返せば明らかなように、首相官邸で行われたやりとりは記録など残さない方が政権にとって好都合と考えたのだろう。記録を残せば、たとえそれを隠そうとしても漏れる。だったら、いっそのこと記録なんて残さないようにする。何ともずる賢いやり方だ。
これも安倍政権の隠蔽体質の表れだろうか。この程度のことでは驚かないくらい、安倍政権の記録管理や情報公開への後ろ向きな姿勢は顕著である。
議事録未作成で民主党政権を批判していた自民党と公明党
ところで、安倍総理が「悪夢のようだった」とまで言った民主党政権。その民主党政権の「失政」として、当初、こんなことが批判されていた。それは、民主党政権時、東日本大震災関連の会議で議事録が作られていなかったことだ。国会でも自民党や公明党の議員が盛んにこの問題を取り上げ、民主党政権を追及していた。
少し検索をすれば、当時の自民党議員の民主党政権批判の文章が出て来る。
例えば、自民党の斎藤洋明議員の公式ブログ、2012年1月31日付の記事。
斎藤議員は、民主党政権の対応を批判して、意思決定のプロセスの記録を残さないことは、国民共有の財産となり得る記録を意図的に廃棄したことと同様であり、極めて重大な問題だと言い切っている。
そのままそっくり、現在の首相官邸に投げかけたい主張だ。
こちらは、今回、官邸の記録管理に関してキャンペーン記事を展開している毎日新聞の過去の記事だ。
この記事では、民主党政権下での議事録未作成を厳しく追及した自民党と公明党議員に対して、集団的自衛権行使容認の閣議決定を巡って内閣法制局が検討過程を公文書に残していなかったことについて質問を行っている。この記事では、取材に直接応じたのが一人、文書回答が一人という状況で、民主党批判を繰り広げていた議員たちは自らに跳ね返ってくると沈黙を決め込んでいる。
民主党政権下での会議の議事録は国民共有の財産であっても、自公政権下での総理の面談記録は国民共有の財産ではないという理解で良いのだろうか。
記録に対する政権のスタンスを見極めよう
民主党政権時、会議での議事録未作成の不手際を認め、以後、会議での議事録作成を確実に行うという対応がとられた。
先ごろの森友・加計学園問題を発端として、2017年12月には「行政文書の管理に関するガイドライン」を改定されたが、このガイドラインも元をただすと、2011年4月の菅政権時に決定されたものだ。
悪夢とまで安倍総理にこき下ろされた民主党政権ではあるが、少なくとも自らの行いついての記録を意図的に残さないという安倍政権に比べれば、歴史に正直な運営を行おうとしていた点では、真っ当な政権であったとさえ言える。
ただ政権の延命を図るのであれば、目の前の不都合が資料は廃棄するなり、そもそも作成しないなりすれば、それで事足りだろう。しかし、いつかは、その政権にも終わる日が来る。そして、時間が経過すれば、歴史の審判を仰ぐことにもなる。
その審判からも逃れようとする安倍政権。永遠に政権が続くと勘違いしているのではないだろうか。