霞が関から見た永田町

霞が関と永田町に関係する情報を、霞が関の視点で収集して発信しています。

MENU

女性議員活躍の文化を根付かせたい 「女の票が欲しい」政党ではなく女性の立場を理解した政党を!

 

 

 

「今度選挙をするから、女の票が欲しい」


遡ること半世紀。当時、日本医師会会長だった武見太郎は厚生省の大臣室で女性として初めて入閣を果たした中山マサと向き合っていた。武見はその時の出来事を自身の著書に書き残している。

 

医師会の要望を説明する武見に対して、官僚が用意したメモを読み上げるだけの中山に苛立ち、官僚の制止を振り切って中山を入閣させた張本人である池田勇人首相の元へと駆け込んだ。

 

なぜあんな人物を厚生大臣にしたのかと詰め寄る武見に池田はこう返事をしたという。

「こんど総選挙をするんで女の票が欲しい。女性議員でまともなのはいないかと聞いたら、あれが一番良いというからしたんだ。あまり怒るなよ」

 

中山入閣にまつわる話の真偽は定かではないが、かつて女性議員の置かれた立場が垣間見える。

 

まもなく任期満了に伴う参議院選挙が控えている。総理の懐に隠された伝家の宝刀もまだまだ気になるところかもしれない。各党、選挙に向けた動きを本格化させる中、今回の参院選で一つ注目されるのは「女性議員」の存在感だろう。

 

 

クオータ制も視野に入れて女性議員活躍の機運を高めたい


戦後昭和の時代に描かれたサラリーマンと専業主婦の夫婦像ももはや過去のもの。2018年のデータによると専業主婦世帯600万世帯に対し、共働き世帯は2倍の1219万世帯にのぼる。多様化する社会において、家庭のみを主戦場としていた女性像だけが全てではなくなり、社会のあらゆる場面で女性が力を発揮する姿が広く一般的になったことは間違いない。そうした女性活躍社会の実現を目指し、働く女性の声の受け皿が今求められている。

 

今年3月、世界の国会議員が参加する列国議会同盟が公表した議会への女性進出に関する報告書によると、日本は世界193カ国中165位にとどまった。G7で唯一の100位台であり、G20でも最下位という不名誉な結果だった。報告書は一院制または下院議会の女性議員比率を比べたものだが、参議院の女性比率も20.7%とまだまだ低水準にとどまる。

 

今年の統一地方選挙でも、過去最多の女性議員が誕生したが、それでもまだ全体の1割を超えた程度。夏の参院選にもそうした社会の声を良くも悪くも反映させたいというのが関係者の胸の内だろう。

 

「クオータ制」という言葉が見られるようになったのも、女性の地位向上の機運が醸成されてきたことを示すものかもしれない。参院選で各党がどのように女性議員を位置づけ、どのように政策を主張するか注目したい。

 

 

無責任な女性候補半数擁立に透ける単なる票目当て


女性の社会的地位向上や活躍機会確保はもはや世界の常識だろうが、これに乗じて「世界の常識」を「流行り」や「ゆがんだ思想の反映」にすり替えられてはたまったものではない。

 

特に、かつて”マドンナブーム”と騒がれたりもした社会党の名残を見事に受け継ぐ立憲民主党や社民党では、女性活躍よりもむしろ行き過ぎたジェンダー思想が色濃く、女性はあくまでも左派思想実現の道具としか考えていない恐れさえあるかもしれない。報道で立憲民主党の長妻代表代行が「今夏の参院選の候補者の半数を女性にするべく取り組んでいる」と積極的な姿勢を示したそうだが、あまりにも非現実的な発言に耳を疑った。

 

そもそも女性が議員になりにくい社会だからこそ、低い女性議員比率にとどまっているのにも関わらず、ここで一足飛びに半数を擁立できるほど甘いものではない。

 

むしろ女性なら誰でもいいと思っているのではないかと疑わせる言動だ。これでは、所得倍増計画で長期政権を築いたかつての総理大臣と変わらず「女の票が欲しい」という願望が透けて見える。

 

 

政権を担う意欲を持つ野党を後押ししたい


政党として現実的な政策を示し、着実に結果に結びつけようとする姿勢を示しているかどうかは、有権者が真に求める姿のはず。

 

自民党内の議論や国民民主党において「30%」という数値が共通して示されている点は、政権を担う責任感とともに、社会変革の必要性を検討する立場から導き出された数字だと考えられる。

 

実現させる責任がない万年野党が目標なら、「女性候補の半数擁立」ほど見栄えの良い看板はない。しかし、国民が求めるのは「女の票が欲しい」政党ではなく、女性の立場を理解し、より良い社会を実現させる政権交代にほかならない。

 

直近の報道によれば、参院選の投票日は7月21日が有力だという。奇しくもその直前、7月19日は女性大臣の日。中山マサが女性初の大臣として入閣した第一次池田内閣発足の日が1960年7月19日だった。

 

女の票も男の票もただではない。ただの人気取りや行き過ぎたジェンダー思想のための女性候補者乱立政党よりも、政権を担う気概にあふれる野党やその候補者を選びたいものである。