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失敗の本質と東京オリンピック、大きな時代が終わる時

 

 

 

1984年に初版が出版されてから累計で60万部近く売れている名著「失敗の本質」。ビジネスマンであれば、一度は耳にしたことくらいはあるだろうし、読んだことがある人も多いはずだ。

 

失敗の本質は、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦など、第二次世界大戦における日本軍の主な失策を題材に、原因解明と組織論を展開した本だ。

 

 

変わらない日本社会の体質

 

失敗の本質が指摘した主な論点は、(1)上意下達の一方通行の権威主義、(2)問題の枠組みを新しい視点で理解しない、(3)リスク管理ができず、被害が拡大、(4)現実逃避による、情報の正しい共有・認識が果たされない、などがある。そのため、組織として弥縫策に走り、前線の兵士だけが傷ついたというのが第二次世界大戦の結果だった。

 

人口に膾炙されていることだが、同大戦で戦没者の60%強にあたる140万人は戦死ではなく餓死だった。つまり、日本軍のロジスティックさえしっかりしてれば、死なずに済んだ命、ということになる。

 

 

東京五輪は失敗の本質のお手本になっていないか?

 

冒頭にこのような話をしたのには、ワケがある。日本型組織の場合、方向修正が効きにくいため、失敗の傷口が広がりやすいのである。30年以上が経てもなお、色褪せることなく、失敗の本質が名著として読み継がれているのは、あの中で書かれていることが21世紀になった今もなお、日本社会に大きな示唆を与えているからに他ならない。

 

東京都知事を務めている小池百合子氏は2017年だったか、「失敗の本質は私の愛読書」と記者会見で語ったことがある。

 

その小池氏の足元で起きている、五輪経費問題。会計検査院によると、2017年までの5年間に国が支出した関連経費は8011億円。当初は1500億円と見積もっていた会場整備費などが膨れ上がった結果だという。しかも、経費は今後も膨れ上がる見通しだ。東京都と大会組織委員会が見込む事業費は2兆100億円で、総額は3兆円を超えると言われている。

 

東京オリンピックは、これまでに数えきれないほどのみそをつけてきた。賛否両論分かれるが、8万人のボランティア作戦も不評だ。つい、先日までは交通費さえ支給されず、宿泊費から都内の移動の交通費もすべての自腹という設計だった。文部科学省はすでに大学に対しては期間中は授業やテストなどを自粛するよう依頼し、暗に学生ボランティアの確保を促している状況にある。もちろん、学生ボランティアだけで、8万人は集まらないだろう。何より真夏の東京オリンピックは、選手はもちろん、ボランティアのスタッフの生命を脅かすほどの暑さと言っていい。

 

元々の原点に立ち返れば、日本でオリンピックを開催する大きなビジョンとして、東日本大震災に対する復興五輪の理念があったはずだ。あの理念は今、どこへ行ってしまったのか。そして、東京が開催地を勝ち取ったのは、東京都内でコンパクトな五輪を開催できるというのも大きな後押しになった。それが気づけば、経費は想定を大幅に上回っている。

 

 

東京オリンピックが後世に残すもの

 

原点に戻れば、本来は今決断しなければならないことは自明だ。

 

しかし、残念ながら日本ではそうならない。「もう、ここまで来ているのだから、前に進むしかないだろう」「オリンピックにケチをつけるような、水を差すことを言うなんて」。多くの人が問題だらけ、課題だらけのオリンピックであることに気づいていながら、アクションは起こせない。

 

失敗の本質が赤裸々に炙り出した、第二次世界大戦時の日本軍となんら変わらない。あの時は、140万人の(戦争とは本来関係のない)餓死という悲惨な結果を招いた。今回の東京オリンピックは後世に何を残せるのだろうか。今日の、この状況を生み出した政治家の責任は重い。