霞が関から見た永田町

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おわりのはじまりか、はじまりのはじまりか、東京オリンピック・パラリンピック展望

 

 

 

2020年、東京オリンピック・パラリンピックがやってくる。お祭りというものは古今東西、どうしても熱に浮かされるものだが、日本社会で起きている色々なものを見るにつけ、大丈夫だろうかと心配にならざるを得ない。

 

まず、そもそも2020年になぜ、東京にオリンピックが来ることになったのか。日本は世界に対してどのようなプレゼンテーションをしたのか、みなさん、覚えているだろうか。東京オリンピック・パラリンピックは3.11の東日本大震災の復興オリンピックという位置付けになっているが、実際、どれだけの人がそれを意識しているだろうか。特に為政者である国会議員はどれだけの人が東北に想いを馳せているだろうか。

 

 

「何とも言えない」は実質的にはノー

 

2017年、河北新聞が3.11で被災した岩手、宮城、福島3県の42市町村長にアンケートを行っている。この調査によれば「オリンピックは復興に役立つか」との問いに対して、54%が「何とも言えない」を選択している。半数以上の首長が「何とも言えない」と答えているのは、現実的にそう受け取れないということの証左だろう。

 

まだ、ある。「復興五輪の理念は明確だと思うか」という問いへの回答は、「何とも言えない」が70%を超えたのである。私たちも普段アンケート調査に応じることがあるからわかると思うが、「何とも言えない」は実質的にはノー、である。

 

地方自治体の、とりわけ東北地方の自治体は財政が厳しく、地方交付税交付金をはじめ、国から様々な補助金が入ってなんとか行政を運営している状況であるため、はっきりとノーを言いにくいだろう。そう考えれば、「何とも言えない」は、強いノーではないものの、首長たちの強い不満と戸惑いの表れと言っていい。

 

 

東京へ厳しい視線を送る被災地

 

しかも自由記述欄には、首長の素直な心情が綴られている。「位置付けは素晴らしいが、具体化の取り組みが見えない」(東松島市長の阿部秀保氏)や「東京で開催するのは大歓迎だが、復興五輪だという意識は全くない」(陸前高田市長の戸羽太氏)といったマイルドなコメントもあれば、「東京に建設需要が集中することになり、結果として国の予算が被災地に回らなくなる。復興事業の人件費・材料費等の高騰が懸念される」(多賀城市長の菊地健次郎氏)、「『被災3県五輪』ではない。観光振興など過剰な期待は方向違い」(女川町長の須田善明氏)といった具合に、はっきり言い切ったコメントもあった。

 

このアンケートからもわかるように、東京を中心とした資本主義経済は3.11の東日本大震災すら、オリンピックを誘致するためのアイコンとして消費してしまったのではないか、と思わざるを得ない。政治の役割は、経済活動では目の行き届きにくい、人々が抱えている不安や生きづらさにどこまで寄り添えるか、が重要だと思うが、東京オリンピック・パラリンピックに向けた議論や事業の進捗を見ていると、どれだけの政治家が心から被災地への想いを抱いているのか、疑問だ。

 

 

膨れ上がる建設費

 

根っこの「復興五輪」の部分ですら、これだけ揺らいでいるわけだから、他は推して知るべし、である。1964年の東京オリンピックが日本の戦後復興のターニングポイントになったのは誰も知るところだ。首都高をはじめとする、あらゆる社会インフラがこのイベントに照準を合わせて急ピッチで整備された。人口ボーナスも寄与して、日本は東京を中心に一気に経済成長を果たした。

 

果たして今回の東京オリンピック・パラリンピックはどうであろうか。招致段階では3013億円だった予算が、気づけば現在は4倍の1兆3500億円に膨れ上がっている。その上、整備される6施設のうち、すでに5施設が赤字の見通しだ。しかも、これからは人口オーナスが効いてくる。悲観的になり過ぎてもよくないが、少なくとも2020年の東京オリンピック・パラリンピックは大量生産・大量消費の戦後モデルが誰の目にも「終わり」として目に映る、そういう象徴的なオリンピックになるだろう。

 

 

新しい豊かさを定義する時代へ

 

これから日本がやらなければならないのは、人口減少社会に合わせた、新しい社会モデルの構築と、新しい豊かをつくっていくことである。そのリーダーは政治家であるべきだろう。自民党の小泉進次郎氏を中心に、「2020年以降の経済社会構想会議」を発足させたのは、その象徴と見ていい。小泉氏を中心とした勉強会として、社会保障制度改革やエネルギーなどメンバーが問題意識を持つテーマを議論し政策提言を目指すという。

 

この辺が自民党という政党のしたたかさであり、人材を育成してきた政党のすごみ、だろう。政局的には秋に控える総裁選、あるいはその先にある総裁選を目指した動きと見ることもできるだろうが、よほどのことがなければ、小泉氏は将来、内閣総理大臣になる人物だ。その人物を中心に2020年以降の社会を展望すると勉強会を立ち上げれば、当然、経済界も黙っていないだろう。将来の経営幹部候補をこうした勉強会にこっそりと送り出すことを考えるはずだし、人が人を呼び、情報が情報を呼び、未来に向けた知見がここにどんどんと蓄積されていくだろう。

 

 

野党こそ本腰入れて人材育成に乗り出せ

 

こうした動きを中期的・長期的視点で分析した上で、野党こそ人材育成に乗り出さなければならい。もちろん、目の前の森友・加計問題も大事ではあるが、それはそれととして、自民党を上回る予算と時間をかけて、本腰を入れて人材育成に乗り出さなければ、政権交代可能な2大政党制を日本に確立し、その一翼を担うというのは、相当に厳しいと言わざるを得ない。