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日本政府は日本の労働生産性を正確に把握しているのか

 

 

 

 

日本の労働生産性は世界的に低いのか

 

 裁量労働制の拡大に関して、厚生労働省の調査データに問題があったとして、今国会の安倍政権の主要政策である働き方改革法案から裁量労働制に関連する部分が除外されるということになった。

 

 そんな中、3月1日の参議院予算委員会で、民進党の大塚代表と安倍総理が労働生産性をめぐって本質的な論戦を行った。

 

 安倍総理は働き方改革の目的のひとつとして労働生産性の向上を掲げている。それは、3月1日の大塚代表との質疑だけではなく、他の委員との質疑でも強調している事柄である。いわく、日本は世界的に見ても労働生産性が低く、だからこそ、それを向上させたい。そして、労働生産性の向上が賃金の上昇にもつながる、と。これが安倍総理の主張である。

 

 労働生産性に関する国際比較のデータは、例えば、以下の日本生産性本部の資料などから把握可能である。

 

www.jpc-net.jp

 

 

 日本の労働生産性はOECD加盟国の中でも20位あたりで推移している。主要先進7カ国の中では、1970年以降、常に最下位という状況である。この状況を見れば、安倍総理に限らず、労働生産性の向上を掲げるのは当然の流れだろう。

 

 安倍総理との論戦で、大塚代表は労働生産性に関する数式を掲げている。

 

 大塚代表が取り上げたのは、この数式の分母の部分だ。この部分について、その算定の根拠となるデータを問い質し、本当に日本の労働生産性が世界と比較して低いのかどうか明らかにしようとしたのである。

 

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2018年3月1日 大塚耕平代表 予算委員会


大塚耕平 民進党 予算委員会 2018年3月1日

 

 

何を根拠とするのか

 

 日本の労働生産性を計る上で利用されたデータは本当に正しいのか。一連の政府による各種データや記録の扱いを見ると、このように問う大塚代表の問題意識も当然のこととして受け取られるだろう。

 

 これまで、日本政府による各種統計データの信頼性について大きな疑念が生じるようなことはなかった。国会審議でも、政府側がデータをあげて答弁をした場合、そのデータについては信頼出来るものとして扱われ、野党もそれに対して反論するとしても、例えば質問の仕方が悪いのではないかといった切り返しを行うしかなかった。しかし、裁量労働制に関する労働時間の件で露呈したのは、政府が出してくるデータそのものの信頼性も決して高くない可能性があることであった。

 

 民進党の大塚代表の質問に対しては、安倍総理や加藤厚生労働大臣、茂木経済財政政策担当大臣や野田総務大臣が答弁に立った。そして、その答弁は、正確な労働生産性の数値を日本政府として把握していない可能性を疑ってしまうような内容のものであった。なかば自明とされてきた日本の労働生産性は世界的に見ても低いという前提すら、本当のところは危ういものであるかもしれないのである。

 

 労働生産性の計算をするためには、就業者数の把握が必須である。就業者数に関係して、日本政府では厚生労働省が毎月勤労統計調査を行っている。さらに、総務省統計局が労働力調査を行っている。そこで、大塚代表の質問に対して、加藤厚生労働大臣と野田総務大臣が答弁に立つことになったのだが、両大臣の答弁で明らかになったのは、その二つの調査で把握されている就業者数に違いがあることであった。これ自体は両調査の目的や対象に相違があることから直ちに何かの問題になるようなことではないが、労働生産性を計算するときに、いずれの数値が採用されているのか、各大臣の答弁からは明らかにならなかったことは重大な問題である。

 

特に、茂木大臣は、日本政府が公表している数値をOECDが参照して、そこからOECDとして労働生産性を算出していると答弁した。厚生労働省と総務省、いずれの調査の数値が採用されているのか、巧みな答弁で明言はしなかった。大塚代表から労働生産性について質問があることは通告済であるわけで、どの数値を基に計算が行われているのか即座に答弁がなされてしかるべき場面であったが、その点は明確な答弁はなされなかったのだ。その種の確認を怠ったなかで、ただ数値だけが独り歩きしている可能性すら指摘されるだろう。

 

 大塚代表は、世界的に見て日本の労働生産性が低いというが、本当に同じように集められたデータに基づいて比較した上で、そうなっているのか何度も問い質していた。しかし、「計算は正しいから正しい」という以上の説明は政府側からはなされなかった。政策の根拠となるデータについては共有しようという大塚代表の訴えかけは正当なものだと思われるが、その段階には至ることは今回の論戦ではなかったと言えるだろう。

 

 安倍政権では、労働生産性の上昇率を現在の約0.8%から2倍にするという目標を掲げている。どの数値に基づいて現状の数値が計算されているのか確認もしていないような状況で、2倍という数値目標を掲げているのだ。この2倍の根拠についても大塚代表は再三にわたって問い質したが、最後までその根拠は安倍総理や茂木大臣から示されることはなかった。

 これでは、後に計算に用いる数値を変更して、労働生産性が上昇したかのように「偽装」することも可能となってしまう。

 

 

レジ係のたとえ

 

 大塚代表は質問の中で、スーパーのレジ係が倍の速度で仕事をしても、それが直ちに労働生産性の向上にはつながらないという例え話をしている。これに対して、ネット上では、「その場合は、生産性は上がるのは当然だ。大塚代表は何も分かっていない」とする趣旨の批判の声もある。しかし、安倍総理も大塚代表の例え話に賛同する趣旨の答弁を行っている。

 

 ここでのポイントは、労働者の能力の向上が直ちに労働生産性の向上にはつながらないということである。スーパーのレジ係の例え話について言うと、スーパーで商品が購入されなければ、そもそもレジ係の作業能力が発揮される場面がないということなのだ。安倍総理はレジに並んでいる人が多い状況であれば、レジ係が倍の速度で仕事をするのは意味があるとも応えていた。確かにレジに並んでいる人が処理しきれない状況であれば、安倍総理の答弁のとおりであるが、何よりもレジに人が並ぶぐらい需要を喚起する必要があるのである。

 

 そこで重要となるのが賃金の上昇である。賃金が増加すれば、それだけスーパーでの購入に充てることの出来るお金も増えるのだ。

 

 この賃金上昇に関する大塚代表の質問に対して、日本銀行の黒田総裁も答弁に立っており、長期的に見れば労働生産性が向上すると賃金も上昇するという関係があるのであるが、日本の現状では労働生産性の上昇に対して賃金上昇が伴っていないとも答えている。これは労働分配率の問題を指しており、その率が低く、企業が収益を上げても、それが賃金の上昇につながっていないことが現在の課題となっているのである。

 

 

賃金上昇の必要性

 

 賃金の上昇については、安倍総理も経済団体などに対して要請している事柄であり、それについては大塚代表やその他の野党も反対しているわけではないが、労働生産性の向上について議論する中でこの賃金の上昇の必要性の視点が欠けていることに、大塚代表は警鐘を鳴らしているのである。

 

 レジ係の例え話に対するネット上の批判のように、労働生産性の向上と言うと、端的に労働者の能力の向上という話に議論が矮小化されるきらいがある。働き方改革法案も慎重に検討をしないと、「労働者をいかに働かせるのか」ということに重点が置かれてしまいかねないのである。

 

 労働者への適正な分配を実現することも働き方改革には含意される必要があるのである。この点について、労働生産性をめぐる論戦で民進党の大塚代表は安倍総理の認識を新たにしようと試みていた。それが成功したとは言い難いが、労働生産性について、その数値について再確認の必要があること、賃金上昇の合せて考える必要があることを予算委員会の審議の場で総理を交えて確認したことは大きな意味を持つことだろう。

 

 

正確なデータに基づいた議論を

 

 大塚代表は、これだけ日本人が勤勉に働いているのに、労働生産性が低いというのは承服しがたいと持論を展開していた。確かに、日本の労働生産性が低いと聞くと、にわかには信じがたいところもあろう。

 

 一方で、安倍総理は労働生産性を高める方法として、日本ではサービス業の生産性が低いとされているため、その分野での生産性の向上、中小企業でのITの活用、設備投資の促進のための制度整備などをあげていた。

 

 いずれも、まず求められるのは可能な限り正確な現状の把握である。例えば、日本では製造業の労働生産性が高く、サービス業の労働生産性が低いというのは、一昔前の事実である。先の日本生産性本部の資料を見ても、日本の製造業とサービス業の生産性の差は以前ほどに大きくない。大塚代表の言も感覚の域を超えていないと言えば、それまでである。

 

 再三、大塚代表は議論の土台となる正確なデータの共有の必要性を説いていた。政府の統計データなどに疑義が生じる事態になってしまったが、日本では世界的に見ても丁寧に各種データを集めてきた国であるのは間違いない。問題はデータの集め方や分析の仕方ではなく、その使い方であると言えるだろう。

 

 与野党という立場の違いを越えて、適切にデータを使うことで国会審議の深まり、より適切な政策形成へとつながることを期待したいところである。

 

 その意味でも、3月1日の安倍総理と大塚代表の論戦は意義深いものであったと言えそうだ。