霞が関から見た永田町

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民主党復活か。国民の声に耳を傾ける政党を目指せ

 

 

 

合流協議を伝える一通の速報メール

 

購読しているニュースサイトから一通の速報メールが届いた。

 

そこには、立憲民主党と国民民主党の両党代表が、合流に向けた協議に入ることで合意したことが1行、記されていた。

 

報道によれば、立憲民主党の枝野代表と国民民主党の玉木代表が会談し、両党の合流を見据えて、幹事長間の協議を始めることになったという。

 

かねてより、両党所属の国会議員も決して否定していなかった両党の合流。自民党に対峙する勢力の必要性は事実であるものの、現在の野党事情を勘案すると、その実現可能性は決して高かったとはいえない。

 

小池百合子東京都知事による、希望の党、「排除」発言に端を発する分裂騒動を思えば、立憲民主党と国民民主党の合流には幾重ものハードルがあったことは紛れもない事実。

 

もちろん、無理やり合流させることを目的としているのではなく、報道の通り、「合流に向けた協議」とあるので、そう易々と元の鞘に戻る決定が下されるとは思っていない。

 

しかし、合流を前提に前向きな協議が交わされるのであれば、この動きを無理やり止める必要があるかといえばそうでもない。

 

 

地方組織を固められるか

 

とはいえ、乗り越えるべきハードルは少なくないし、意識の違いもまたすり合わせる必要がある。玉木代表は会談で、「野党が力を合わせる大義の必要性」と「地方組織や地方議員の意見を大切にしていくこと」の重要性を指摘したという。

 

かつて存在した、みんなの党などの数々の野党の歴史でも語られるように、野党の離合集散の歴史の影に、国会議員に振り回された地方議員の姿があることは知られていない。永田町の理屈だけで地方組織がバラバラにされたり、現場をよく知る地方議員の声に耳をかさず選挙戦に突入していったなど、野党国会議員の地方軽視は思いの外、有権者には知られていない。

 

民進党分裂の陰には、苦渋の選択を迫られた地方議員の姿があった。もちろんすべての地方議員ではないが・・・。

 

そうした地方組織がバラバラになっていったことと、野党支持率の低さは決して無関係とはいえないだろう。そして、そうした地方組織の苦悩を永田町を舞台に働く国会議員は知らない。

 

国の都合で振り回され、民進党の分裂を経て今年4月の統一地方選挙では立憲、国民と所属政党を分かれて議席を争った仲間と再び合流というのは、なかなかやりにくいものだ。

 

 

支援組織はまとまるのか

 

旧民主党あるいは旧民進党という括りができるものの、立憲と国民ではそもそも連合参加の支援組織にはそれなりに色合いの違いがある。立憲民主等は旧総評系の自治労や日教組などの労働組合があり、国民民主党は、自動車総連、電気連合、電力総連と言ったグループに支えられている。産別組織によっての違いは、そのまま公務員制度改革や時には原発政策にまで広がる。

 

自民党と対峙する政策集団を目指す時に、どのような政策を打ち立て、国民に政権像を示せるのか。結論を急ぐあまりに、詳細を後回しにしすぎると、後々の火種になりかねない。

 

自民党に代わる政権としての選択肢を目指すのはもちろんだが、国民に寄り添った政党となるためにも、合流協議には慎重を期してもらいたい。

 

連合の神津会長は合流報道を受けて、立憲民主党主導の合流には反発の恐れがあることを指摘し、互いの立場を尊重して、話し合いを進めてほしいという考えを示した。

 

 

国民が求める答えを示せるか

 

報道では、合流協議を急ぐ理由の一つに、旧民進党時代の政党資金を持つ国民民主党の財布を枝野代表が狙っているからだろいう見方が示されていた。

 

政治と金はつきものであり、枝野代表がゼロから立ち上げた立憲民主等は、民進党を引き継いだ国民民主党のような蓄えはない。しかし、国民よりも立憲の方が国会議員の数は多く、地方組織も立憲の方が勢いがある。そうした点で、立憲の苦しい台所事情が透けて見えるという考えも否定できなくもない。

 

来年冒頭にも解散が囁かれている年の瀬に、野党が必死になるのは、候補者の一本化調整だ。枝野代表は、国民以外にも社民党に合流協議の申し入れをしたと伝えられている。連合の神津会長も社民党との政策違いについて指摘しているとおり、野党という理由で簡単に合流できる話でもない。

 

闇雲な合流によって、国民の理解を得られなければ本末転倒。目指した姿が国民の求める姿でないのなら、合流協議は徒労に終わるし、自民党のさらなる長期政権を後押しすることにもなる。

 

野党の結集は望むところではあるが、何のための合流なのか、その本質的な問いを忘れることなく、永田町の論理ばかりに縛られない合流協議がなされることを切に望みたい。