霞が関から見た永田町

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発展的解消による新党で、堂々とこれからの社会とビジョンを語ることが飛躍の第一歩

 

民進党が揺れている。年が明ければ、国会が始まり、地方議会も予算議会が始まる。通常、政治が最も忙しい季節だ。この予算の季節が終わると、新年度がスタートするわけだが、来年の春はいつもより大きな意味を持つ。なぜなら、その一年後に統一地方選挙を控えているからだ。通常、各政党、現職議員の一次公認の作業に入るころである。ましてや、統一地方選挙の3ヶ月後には参議院選挙もある。

 

 

 

統一地方選挙と参議院選挙は12年に1度、選挙の季節がほぼ同じになる。参議院選挙はそれを支える地方議員の動きは相当差が激しいが、統一地方選挙が重なると話は別で、お互いが一緒に活動することが相乗効果になって票固めにもなるため、いつも以上に地方選挙も参議院選挙も足元をしっかり固めやすい選挙となる。

 

 

統一地方選挙と参議院選挙が重なったのは直近だと2007年だ。もうほとんどの人にとって遠くかなたの記憶だと思うが、2007年の選挙では自民党の退潮がいよいよ誰の目にも明らかとなり、一方、民主党は大きく躍進したのが非常に特徴的な選挙だった。

 

 

 

 

自分のことしか考えていないように見える離党組

 

あれから12年。政治の風景はすっかり変わってしまい、攻守は逆転した。そんな政治の季節が目前に迫っているためもあって、民進党の参議院議員もそわそわし始めている。既に立憲民主党へ行くことを宣言している者もいれば、いち早くイチ抜けして立憲民主党入りした者もいる。民進党の前代表である蓮舫氏もその一人だ。

 

 

一般論でいえば、もう民進党は組織の体をなしていない。こんな状況で党の代表を務めなければいけない大塚氏も気の毒としか言いようがない。今の状況の中で、党内合意を取り付けて何かを進めていくのは大変難しい状況にあるが、民進党がもう一度、再浮上するチャンスがあるとすれば、やはり新党しかないだろう。しかも、今回は寄せ集めの、組織としての意思決定のできない政党ではなく、一定の理念とビジョンを共有した新党でなければならない。

 

 

政策の軸ははっきりできる

 

順序が逆になってしまったが、先の衆議院選挙で、民進党が希望の党と立憲民主党に分かれたことは結果的によかった。今、希望の党にいるメンバーと、立憲民主党にいるメンバーを見比べてみれば、確かにこの人たちが同じ政党にいたとは到底思えないほどである。そういう意味では同じ傘の下にいたことが不思議なくらいで、そこがはっきりと分かれたことは、有権者に対しても自分たちの政党の軸を見せやすくなったと言っていいだろう。

 

 

旧民主党しかり、みんなの党をはじめとする第三極しかり、対自民党を意識し過ぎる。そのため、常に政権批判から入るわけだが、この手法に国民は辟易していることにそろそろ永田町の住民は気付くべきだ。テレビ慣れした国会議員ほど、自民党を舌鋒鋭く批判しないとニュースに取り上げれらないと思い込んでいるが、テレビに露出することと政党支持率は必ずしも一致するわけでもない。

 

 

自民の批判ではなく、政党としてどういう未来を指向するか

 

それよりも国民が望んでいることは、不安定な時代に入った今こそ、国家のビジョンと未来の希望を政策で語る姿だろう。政策で未来を語れる政党が誕生したとき、その野党は政権交代のチケットを手にすると言っていい。

 

 

そういう意味で、今、立憲民主党へ慌てて入党していく様は有権者は冷ややかに見ている。一度は両院議員総会で希望の党へ行くことが決まっていたはずだ。本当に希望の党が自分の理念や政策と違うと思ったのであれば、両院議員総会の時点で発言するのが政治家だ。しかし、あの時、まだ小池代表(当時)が「排除します」という失言が生まれていなかったあの時点においては、希望の党への合流で「すわ、政権交代か」という高揚感に民進党自身が包まれていた。今、立憲民主党に身を置いている議員も高揚感に包まれていたのだ。それはあの時、永田町に身を置いた者でなければ分からない。

 

 

これは隠しきれない事実だ。その高揚感の中で、両院議員総会で希望の党への合流が機関決定された。その後の希望の党がどうであれば、これが民進党が組織として決定したこと。今やそんなことを誰もが忘れてしまったかのように振舞っているが、立憲民主党が先の選挙で躍進したのは政策がよかったからではなく、有権者の判官びいきが働いたからにほかならない。それ以上でもそれ以下でもない。したがって立憲民主党の高い政党支持率も何かの裏付けがあるわけでないため、ちょっとしたことがキッカケで坂道を転げ落ちるように転落していく可能性は十分にある。

 

 

有権者が望むこと

 

少なくとも多くの有権者はそういう冷めた目で政治を見ている中で、一度は希望の党と合流すると決めたはずの民進党から櫛の歯が抜けるように立憲民主党へ移っていく様は滑稽としか言いようがない。その姿を有権者はどう受け止めるのか、という自らを客観視する姿勢がそこには感じられないのである。筆者などは今、ポロポロと、それもテレビ的な知名度、テレビ映りのする政治家が立憲民主党へ移っていくことが立憲民主党の政党支持率の転落の引き金になるのではないか、とさえ思える。

 

そういう意味で、民進党はここは初志貫徹、希望の党をカウンターパートの念頭に置いた新党を目指すべきだろう。その際に、関西エリアの勢力をどうするか、つまり、大阪維新の会との関係をどうするかも考えた方がいいだろう。今の日本に改革系保守勢力が必要だが、残念ながら、その有力勢力は見当たらない。やはり、あるとすれば、左派勢力がいなくなった民進党だろう。それは畢竟、衆議院選挙で希望の党から当選した人たちと、今、民進党に残る人たちのうち、保守系の政治家ということになる。

 

 

新党立ち上げで活路は開ける

 

永田町の住民はマスコミの世論調査の結果に一喜一憂し過ぎる。しかし、その姿勢は間違っていて、政治家が本来相手にすべきは世論調査ではなく、生身の人間だ。今こそ泥臭く、これからの社会のあるべき姿と、その実現に向けてどういう政策を打つのかを語ることだ。その中で、政権与党とどこが同じなのか、どこが違うのか、それを正々堂々と訴えればよい。最初から政権批判で始めるような、左派の手法は今や国民は求めていないと言っていいだろう。目の前の政党支持率に惑わされることなく、民進党は発展的解消し、新党を立ち上げ、国民に未来を語ったとき、その新党はもう一度、国民から期待される政党へと生まれ変わる可能性が出てくる。そろそろ、そういう政党が誕生してもいいころだ。統一地方選挙まで時間はあるようで、ない。