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国会は常に与党ペース -その中で野党は対抗するしかない-

 

 

 

時事通信のミスリーディング


 18日、時事通信が「終盤国会、与党ペースに=野党、審議拒否に及び腰」という記事を配信した。

 

www.jiji.com

 

 一瞬、「そうだよな」と思わせるような見出しだが、これは明らかなミスリーディングである。もちろん、記事の内容も同様にミスリーディングである。これは、不当に野党を貶めるとともに、与党への敬意も欠いた記事である。

 

 

国会運営は常に与党ペース


 記事によれば、会期末に向けて、与党ペースの状況が目立ち始め、与党に有利な日程のセットが相次いでいるというのである。そこには、審議拒否を続けていた野党が国民の理解を得られなかったことから、審議復帰後は与党の国会運営に対抗出来ずにいるという背景があるとも書かれている。


 ここには、国会が野党ペースで動くことがあるという「誤解」が潜んでいる。政権に不祥事が相次いだことから、野党のペースで物事が進められるようになってしかるべきところ、実際にはそうならなかったことをあげて、野党の不手際をあげつらいたいのかもしれないが、そもそも国会の運営が野党ペースで進められるということは、国会の仕組み上、ほとんどあり得ない。


 もちろん、政権に不祥事が相次いだ今国会を振り返れば、野党の要求が受け入れられて証人喚問や参考人招致が実現したこともあった。野党の求めに応じて予算委員会の集中審議が行われたり、法案審議が与党の思うように進まなかったりすることもあった。それら一連の出来事を見ると、野党ペースで国会が運営されることがあったと誤解しかねないは分からないでもない。


 しかし、そのいずれも最終的に決めているのは与党である。与党が承諾しなければ、証人喚問や参考人招致は実現しない。各種委員会の審議も基本的には与党の判断で運営されている。


 というのも、国会は全会一致や多数決でその運営が決められているからである。結局のところ、与党が首を縦に振らなければ、何事も進んでいかないのである。基調は、常に与党ペース。これが国会運営の大前提である。

 

 

国民に選ばれた多数が与党を形成している


 現在の国会は巨大な自民党と公明党の与党と複数の少数の野党で構成されている。全ての野党の議員を足し合わせても、与党の議席数には遠く及ばない。


 こう書くと、自公で獲得した票は国民の過半数ではないなどといった批判を受けるのだが、少なくとも現在の与党は選挙によって国民に選ばれて多数派を占めている。その多数派が国会の運営を司るのは、当然と言えば当然であるのだ。

 

 もちろん、少数派である野党の意見をまったく無視して良いということにはならないが、かと言って、野党の意見を受け入れて国会の審議を止めたりするようでは、国民の負託に反する判断を国会として下すことにもなりかねない。


 国会の運営は国民から選ばれた多数派である与党が中心となってなされる。ゆえに、国会は常に与党ペースで進められるものであるし、そうであるべきなのだ。


 マスコミは、野党の意見を聞き入れて野党ペースの国会運営がなされるべきだとすら考えているのかもしれないが、それは、言葉を強くして言えば、民主主義の否定である。


 与党ペースになったと殊更に強調するのは事の本質を見誤らせる。

 

 

与党ペースの中で野党は存在感を見せるしかない


 先の審議拒否は野党に対して批判を呼ぶことになった。
野党も、国会が常に与党ペースだからと言って、それを唯々諾々と受け入れるわけにもいかない。自らの主張を少しでも受け入れさせるためには、時には審議拒否のようなことを行う誘惑にも駆られることだろう。


 ただ、野党は常に与党ペースで国会運営がなされるという現実をまずは受け入れる必要がある。その点で、新たに出来た国民民主党が基本的には審議拒否を行わないとしているところは注目されるべきだろう。与党ペースで国会の運営がなされるとしても、国会の場で野党として踏み止まっていくしかないのであって、その姿勢を国民民主党はそのスタートに当たって確認しているのである。

 

 上に紹介した時事通信の記事を目にすると、国民の一部や野党の関係者は、「何としても、野党ペースに持ち込まなければ」「与党ペースになってしまい、野党がだらしない」といった感想を持ち、与党ペースを乱すような何事を行わなければならないと思ってしまいがちだ。しかし、それは間違いである。野党のペースには絶対にならない。もちろん、与党ペースだからといって、野党を不甲斐ないと責めるのも、それはそれで間違っている。


野党議員が国会を自らのペースで運営したいと思うのであれば、国民の多くの理解を集めて、より多くの議席を得ることで多数派を形成するしかないのだ。


 よって、野党が考えるべきは、与党ペースでなされる国会運営のかき乱す方法ではなく、自らの活動に対する理解を得るための方法である。その方法を考えたとき、職場放棄と見做されかねない審議拒否は真っ先に否定されるべき事柄であろう。日本維新の会も審議拒否は基本的に行っていない。そういう姿勢に対しては野党らしくないとの批判もあびることにはなるが、それには惑わされず、与党が設定する様々な場面において議論を喚起して対案を出すと言う、いわば王道を野党は歩むべきなのだ。