霞が関から見た永田町

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硬直化する国家予算に政治はどう向き合うのか

 

 

 

予算概算要求が出揃う

 

来年の2019年度予算編成に向けた各省庁からの概算要求がほぼ出揃った。

 

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 一般会計の要求総額は102兆円台後半となり、これは過去最高額である。これはあくまで要求総額で、この後に調整作業があるが、本予算の規模も過去最高額になることが容易に予想される。


 その調整作業、そして年明けの通常国会での審議と、ここから霞ヶ関では予算成立へ向けた長丁場の戦いが繰り広げられる。

 

 

自由に使える予算は少ない

 

 各省庁から概算要求が出されるのだが、かと言って、各省庁が毎年自由に欲しい予算を要求しているわけではない。なぜならば、前の年度から継続して、次年度もほぼ自動的に使い道が決まってしまっている予算の額が小さくないからだ。

 

 代表的なのは、国債費。国債として借りたお金は当然に返さなければならない。これが2019年の概算要求で25兆円程度。102兆円の中でのこの金額ということで、約20%は借金返済に消えてしまう。

 

 さらに、社会保障費も前年度から大きく変更をするようなことが出来るものでもなく、高齢化の進行もあって前年度からどの程度増加するのかが毎年のように焦点となる。2019年度の概算要求では、社会保障費は32兆円程度。国債費と社会保障費を合わせると、それだけで予算全体の半分を超えるという規模だ。

 

 また、地方自治体に配る地方交付税交付金も大きく減らすと、地方自治体の運営に支障が出るため、基本的には前年度を踏襲するかたちになる。2019年度の概算要求では、これも前年度より少し増加して、約16兆円。

 

 国債費と社会保障費、さらに地方交付税交付金、それらを合わせると予算全体の7割にも及ぶ。加えて、公務員の人件費など、大きな変更が加えられない費目もあり、そのようなものを足し合わせると、8割を超えるものがいわば使い道が「固定化」された予算ということになっている。

 

 

「新しい」政策のための予算は少ない

 

 既に使い道が固定化されているということは、取りも直さず、新しい使い道に予算をつけるのが難しいことを意味する。必要だから増税するということが出来れば別だが、そういう社会状況にはなく、官僚や政治家が何か政策を思いついたり、あるいは社会状況の変化に対応するために新たな施策や事業を実施しようにも、そこに予算をつけるのは決して容易ではないのだ。実際、官僚の中では、小さな金額であっても新規の予算を獲得することに大変苦労していると聞く。最近では、「小さく生んで、大きく育てる」との合言葉で、まずは少額の予算を新規に獲得して、それを年々大きくしていくということが目指されているのが実情だ。

 

 もちろん、もし何か新しいことをしようとして概算要求を行っても、当然それがそのまま採用されることもない。概算要求の後、財務省主計局による厳しいチェックが待っているからだ。


 このチェックが財務省主計局の力の源泉でもあり、どの省庁もこの予算編成時のことがあるので、財務省には気を遣うことになる。予算の大部分が硬直化し、柔軟に使える金額が小さくなれば、なおさら、その部分で何とか手当をしてもらおうと、財務省に忖度する場面も増えることになろうというものである。

 

 

国家予算のあり方を議論せよ

 

 国民民主党や自民党のトップを決める選挙が行われ、政策論争が交わされることになるが、そこで議論されるような政策も実行に移すとなると予算の手当てが必要となるものばかりだ。例えば、国民民主党の玉木代表が提唱したコドモノミクスのような政策では当然に予算での措置が必要なる。もちろん、自民党総裁選挙で何か新たな政策が打ち出されれば、それも当然に予算の手当てがなされることになるだろう。

 

 ただし、本来は、硬直化した国家予算そのもののあり方こそ政治家は議論するべきである。いやむしろ、官僚には出来ないのがこの国家予算そのものについての議論でもある。そこを避けて、一部に残っている柔軟に使える予算枠について分捕り合いをしたところで、この国が抱える根本問題の解決には一切つながらないのだ。

 

 来年1月に始まる通常国会では、現在編成作業が行われている予算が審議されることになる。審議が行われる予算委員会はあらゆるテーマが議題になることから、森友学園や加計学園問題のようなスキャンダルがあれば、その追及の場ともなるが、やはり、国会予算を審議する場として、与野党で真摯な議論を重ねて欲しいものである。


 そのような議論を怠ったことが、森友学園問題での財務省の文書改竄や障害者雇用率の捏造といった官僚の暴走の遠因になっているような気がしてならない。


 予算の概算要求をはじめ、各種の作業は政治側のスケジュールもにらみつつ、それでも粛々と進められていくわけだが、予算こそ国家の活動の根幹を成すものであり、そこに政治家がいかに関与していくのか。与野党ともにトップを決める選挙が行われる中で、あらためて予算編成と国会の関係について考えておきたいところだ。