霞が関から見た永田町

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出入国管理法改正と日本が向き合うべき本当の問題

 

 

 

外国人労働者の受け入れを拡大する「出入国管理法改正」をめぐって、国会で与野党の攻防が激しくなっている。その論点は法改正の中身というよりは、この改正が蟻の一穴となって日本が移民国家になるのではないか、という点にある。要は「事実上の」移民政策か否か、が焦点になっているのが、今回の出入国管理法改正の審議だ。

 

ただ、実際のところ、国会論戦はなかなか噛み合ってない。野党は「新たなに受け入れる外国人と移民政策の関連」について見解を問うたが、安倍首相の答弁は、「移民の定義が多用で、決まった定義があるわけではない」とはぐらかした。一方で、期間を設けずに、家族の帯同も受け入れることを移民政策と呼ぶのだとすると、そうした政策は取らないとも答えている。

 

 

保守もリベラルも反対の出入国管理法改正


この法案の興味深いところは、保守もリベラルもどうやら、反対だという点にある。例えば、11月22日の産経新聞では、「入管法改正は天下の悪法か」というタイトルをつけたコラムを発信している。タイトルに疑問符をつけていることからも推察できる通り、このコラム自身は賛成とも反対とも言ってないが、至極真っ当なことが書かれていて、「これからの日本社会のあり方をちゃんと、それぞれの立場が明らかにした上で、議論せよ」と言っている。その通りだ。

 

もう少し、このコラムを引用しよう。本来、政権よりであるはずの産経新聞が「法案の土台から築き直せ」と反対の論陣を張り、読売新聞、日経新聞もそれぞれ、「外国人就労拡大、中長期的な戦略に位置付けよ」「社会不安招かぬ外国人政策へ議論深めよ」と、やはり反対の立場を取っている。

 

一方、元から政権とは距離を置くメディアである、朝日新聞、毎日新聞などは「入管法改正案、これでは議論できない」「ずさんなデータ、付け焼き刃ぶりが表れた」と手厳しい。どちらかというと、リベラル系の新聞社は外国人を都合の良い労働調整弁として政権が利用しようとしていることに批判的だ。言い方を変えれば、リベラル系のメディアは「文化や伝統の維持」「治安悪化による社会不安の増大」という保守的な視点ではなく、「外国人労働者の人権」に焦点を当てている。したがって、法案に反対であっても、リベラルと保守では論点が全く異なるのである。

 

 

右に寄り過ぎた政権ゆえ「移民政策」とは公言できない


永田町を見ても、正直、議論が生煮えだ。安倍政権がこの法改正について、中身の技術論に終始し、その先に生じるであろう、社会の変容に対して「法律では想定していない。移民政策ではない」という立場を取るから、議論が深まらないのは当然だ。

 

一方の野党サイドも腰が定まっていない。野党も批判はするものの、移民政策そのものに対する自らの立ち位置をはっきりさせていないのである。保守よりさらに右に寄った安倍政権にとって、「出入国管理法改正は移民政策」とは口が裂けても言えないだろう。安倍政権が自らの支持基盤に対しても、態度をはぐらかしていることになる。

 

そんな姿勢の政権に対して、野党が移民政策の是非について、自らの立ち位置を鮮明にして臨む必要があるのか、という意見はある意味、その通りだ。その通りではあるが、政権が立ち位置をはっきりさせていないからこそ、野党が明確なポジションを取った時に、そこに国民の理解と共感が集まるはずだ。政府が拙速に法案審議を終えようといているため、議論を深めるのは難しいかもしれないが、野党には期待したい。

 

 

超高齢化社会のあり方が問われている


私たちの日本は超高齢化社会へ突入している。コンビニ一つとっても、都内では外国人ばかりだし、郊外に行けば人を雇用できず、おばあちゃんがレジを打っているあり様だ。深夜帯に至っては郊外だと「急募!」の文字が踊る。こうした社会の実相と向き合った時、外国人労働者を受け入れるのか、受け入れないとすれば、今私たちが享受している豊かさをどこまでなら削っても我慢できるのか、そういう本音の議論をすべき時代に入っていると言えよう。