霞が関から見た永田町

霞が関と永田町に関係する情報を、霞が関の視点で収集して発信しています。

MENU

福田事務次官のセクハラ問題に潜むメディアの闇

 

 

 

 

テレビをつければ、連日、福田事務次官のセクハラ問題のニュースが流れている。今回の一連報道は図らずも、日本社会が抱える課題の縮図といえるだろう。セクハラに対する旧態然とした考え方、マスコミにおける働き方、マスコミと政権の関係、情報の取り方など、様々な課題が見え隠れしている。

 

 

強気の姿勢を崩さない福田事務次官

f:id:ngtcsfksmgsk:20180424115401j:plain

引用:財務次官、セクハラ疑惑で更迭:時事ドットコム


この一連の報道が始まった当初から財務省事務次官の福田氏は「あんな酷い会話をしたことはない」という姿勢を崩していない。彼が女性記者と交わした会話の録音データが公開されてもなお、この姿勢を崩していない点は一つ、ポイントだ。しかも、「事実と異なるため、名誉毀損で株式会社新潮社を提訴すべく準備を進める」という姿勢も堅持したまま、である。

 

当初、この報道が出たときは録音データの不思議さ、福田氏の部分だけ公開され、女性の声は流れず、テロップだけだったこともあり、「会話の相手は記者ではなく、キャバクラなどの女性に向けられたものではないか」という憶測すら飛んだ。だからこそ、「福田氏は新潮社、そして世論に対して強気なのではないか」とも囁かれていた。

 

 

権力者の傲慢さが垣間見えた


ところが、フタを開けてみれば、テレビ朝日が記者会見を開き、この音声データは「自社の女性記者に対するものである」ことを明らかにした。その後、数々の報道によって、福田氏が平素から、このような発言を繰り返す人物であることも明らかになっている。

 

この状況でなお、福田氏が「事実と違う」「名誉棄損だ」として訴える姿勢を取っている理由はなぜだろうか。考えられるとすれば、彼が「本気で」一連の発言はセクハラだと認識していない、ということである。

 

実はここに日本社会の問題が見て取れる。セクハラは当事者がどう感じたか、がすべてだ。しかもかたや財務省事務方トップの権力者、もう片方は情報を取らないと仕事にならない記者。力関係が異なるのは一目瞭然だ。その関係性の中で、投げかけられる性的発言をセクハラと言わずして、なんというのだろうか。

 

 

本気でセクハラではないと思っている可能性も

f:id:ngtcsfksmgsk:20180424115923j:plain


お酒の席の「たわむれ」で済む話ではないだろう。そして、そういう世間の常識を官僚が肌感覚として理解していない、という点も問題だ。

 

この世間の常識との乖離は、「調査をするから、当該の女性記者は名乗り出てほしい」という財務省の態度にも見て取れる。財務省といえば、官僚の中の官僚だ。東京大学法学部を卒業し、官僚試験を上位の成績で通過した、受験エリートたちが集う組織。

 

もちろん、ペーパーの成績と人間性に相関関係があるわけではないことは十分承知の上だが、本来、学問とは知識の習得を通じて社会のリーダーになるための素養を身につけるものであるはずだ。図らずも、現在の受験システムが社会に適合していないことを改めて白日の下にさらしてしまったと言えよう。

 

財務省事務次官の、一般には考えられないセクハラ発言の衝撃が大き過ぎて、まだそれほど注目されていないが、一方で気になるのは、メディアそのものの体質だ。テレビ朝日の発表によると、女性記者からセクハラの相談を受けたのは1年半も前のことだという。

 

 

テレビ局もダブルスタンダード


この間、テレビ朝日は何をしていたのだろうか。今回の第一報はテレビ朝日ではなく、週刊新潮だった。本来、こうした相談が現場から持ち込まれた時に、テレビ朝日は真っ先に対応すべきだっただろう。それが1年半も放置されてきた点については、どの報道機関もそれほど報じていない。

 

仮にこれがメディアではない、企業で同様の事態が発生していたら、どうだろうか。メディアはその事態を放置するだろうか。それとも「セクハラを放置するなんて、このご時世、企業のコーポレートガバナンスの視点から見ても、あり得ない」と批判するだろうか。答えは後者だろう。

 

つまり、今回の財務省事務次官セクハラ事件は、図らずもメディアの旧態然とした姿と、ダブルスタンダードが明らかになったのである。外で起きた事件には声高に報道するのに、自らの社員が当事者になった事件は報道しなかった、あるいはできなったのである。

 

政権に睨まれたくないという思いがそこにはあったのかもしれないし、「(実際に胸を揉まれたわけでもないのに)これくらいのことで騒ぎ過ぎ」と軽く受け止めたのかもしれない。


こうしたメディアの後ろめたさを見透かして、福田事務次官も「事実と異なる」と平然と言い放ったのかもしれない。いずえにしても、尋常ならざる事態だ。だからこそ、誰も守ってくれる組織がないと判断し、件の女性記者は週刊新潮に駆け込んだのだろう。

 

 

野党がやるべき真の対策とは


永田町で一年の多くを過ごす、国会議員がこうした政治部記者をめぐる、政権との距離感、与野党の政治家との距離感を知らないはずがないだろう。自民党はもちろんのこと、野党もかつては一時期とはいえ政権を取っているのだから、実態は分かっているはずだ。

 

さて、世論を味方につけるためにやるべきことはなんだろうか。それは麻生財務大臣の辞任を迫ることではない。それは結果として付随するもので、まずやるべきは、こうした政治とメディアの体質改善を図っていくことだ。各局がどういう思惑で政治部に女性記者を配置しているか、言葉にしなくても、みな、理解しているはずだ。その善悪は置いておいて、実態はみんな、知っているはずだ。

 

今、野党がやるべきは、適正な取材活動が展開できる環境整備を永田町で訴えることである。それが世論を味方につけることであり、本当の意味で、能力ある女性記者がセクハラを受けることなく仕事ができる環境を整えることになる。麻生大臣が辞任したところで、こうした環境が変わるわけではないだ。野党が主導して、永田町および霞ヶ関における取材環境を整えたとき、結果として麻生大臣の責任も問われてくるだろうし、なにより世論が大いに野党に味方をするだろう。今こそ、全体を俯瞰した戦略が求められているのは野党なのだ。