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防衛大臣の交代は日本の立場の後退を意味するのか

 

 

 

韓国の国際観艦式への自衛艦派遣見送り


 10月11日に韓国政府が主催した国際観艦式。そこへの自衛艦派遣を日本政府は見送っていた。


 韓国政府が参加国に対し、自国と韓国の国旗のみを艦艇に掲げるよう通知を出し、日本の自衛艦旗である旭日旗を掲げることを認めないという姿勢を見せていたことがその原因だ。自衛艦旗の掲揚は国内法や国際法に則った対応であるとして、日本政府が自衛艦旗を掲げないかたちでの観艦式参加を拒否したのだ。


 韓国の身勝手とも言える通知に対して、日本政府が毅然とした対応をとった一幕であったが、この間、小野寺防衛大臣から岩屋防衛大臣へと大臣の交代があった。この交代で、日本の立場が微妙に変化していたことを見逃してはならないだろう。

 

 

小野寺大臣は毅然としていた


 この自衛艦旗の件は、以前から韓国が何かにつけて言いがかりをつけてきた案件だ。というのも、自衛艦旗である旭日旗に対して、韓国の国民が快く思っていないからだ。これについては、韓国政府としての立場もあるだろうが、日本政府としても毅然と対応するしかない。


 実際に、今回の韓国政府の通知に対して、その通知の有無には言及しなかったものの、当時の防衛大臣である小野寺氏は、9月28日に、海上自衛隊の護衛艦に自衛隊旗である旭日旗を掲げて国際観艦式に参加する考えを示していた。

 

www.sankei.com

 

 

 その後、内閣改造を経て、防衛大臣は小野寺氏から岩屋氏に変更され、10月5日の会見で岩屋大臣は日本の自衛艦の参加見送りを表明していた。

 

www.news24.jp

 

 

他の参加国はどうしていたのか


 結局、日本は韓国の国際観艦式に参加しなったわけだが、では、他の国はどう対応したのだろうか。


 産経新聞などが報じるところでは、軍艦旗を降ろさずに観艦式に参加した国もあったようである。韓国政府はそれらの国に何か抗議のようなものをしたのかもしれないが、実際には韓国政府の独りよがりな通知など、どの国も取り合わなかったというのが実情だ。

 

www.sankei.com

 

 

 さらに、何ともおかしか対応をしたのは韓国政府自身で、観艦式で文在寅大統領が演説をした駆逐艦には、「抗日」の象徴として英雄視される李氏朝鮮の李舜臣将軍の旗を掲揚するというダブルスタンダードぶりを世界中に発信してみせてくれた。国旗以外の掲揚を自粛しろと参加国に求めながら、自分の国は国旗以外の旗を掲揚したというのだから、どうかしている。

 

www.sankei.com

 

 

やはり、入閣待望組には理由があった


 他国が軍艦旗を掲揚して観艦式に参加したことについて記者から尋ねられ、岩屋大臣は「他国軍の運用についてコメントするのは適切ではない」と答えたそうだ。この答え自体は妥当なものだが、前小野寺大臣の時には日本もそれらの国と同じ対応を取ろうとしていたわけで、岩屋大臣になってから方針を転換し、不参加を決めた理由が結局のところ明らかとはならなかった。見方を変えれば、小野寺大臣の際の対応から岩屋大臣になってからの対応は日本政府として立場の後退を意味すると思うが、その後退の理由はどこにあるのだろうか。

 

韓国が李舜臣将軍の旗を掲揚したことに対して、記者から質問された岩屋大臣は、「答えにくい。お察しいただければ」と答えたそうである。


 自衛艦旗の旭日旗に文句を言って、対して、自らは抗日の英雄の旗をわざわざ掲げるというのは、もはや挑発であって、それに正面からは答えないという大人の対応を岩屋大臣はしたのかもしれないが、それにしても、随分と消極的かつ曖昧なコメントである。毅然と対応していた小野寺前大臣とは全く異なった対応と言わざるを得ない。

 

 防衛大臣として、そつなくその職務に当たっていた小野寺五典議員。そもそも交代させるべきではないのではないかとの声は当然にあったが、こうして交代し、入閣待機組の代表格と言っても良い議員の一人であった岩屋毅議員に変わってみると、その差が浮き彫りとなったかたちだ。


 岩屋氏は防衛に通じた議員としては知られていたが、やはり、これまでに大臣に声がかからなかったのは当然の言えば当然だったのかもしれない。


 「答えにくい。お察しいただければ」などという回答は、およそ成立しない。言うべきことは言い、沈黙すべきは沈黙する。それをせずに中途半端な言を発するような者に、防衛大臣の重責は務まらない。日本の立場を後退させる防衛大臣には即刻退場願いたいものだ。