霞が関から見た永田町

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黒川検事長辞職で一気に流動化する政界、多風の目は国民民主と維新

 

書かなければならないことが多く、どこから筆を始めるか、悩んだ。ひとまず、結論から言っておこう。黒川検事長の賭け麻雀による辞職、および訓告という軽い処分の結末は、今後、永田町を大きく揺るがし、場合によっては政界再編にまでつながるかもしれない。その時の台風の目は国民民主党と維新の会だ。

 

今、永田町では2つの政局が走っている。1つは新型コロナ、もう1つは検察官の定年延長だ。今回、賭け麻雀で辞職に追い込まれた黒川元東京高検検事長は安倍銘柄であることは、つとに有名だ。安倍内閣の番人とすら永田町ではささやかれている。

 

                

一貫して潮目を読み間違え続ける安倍政権

真偽の実態はさておき、重要なことは黒川氏が安倍政権にべったりだと思われているということ、つまり世間がそう認識しているという事実こそが重要だ。だから、検察官定年延長法案は実態としては黒川氏を次の検事総長へ据えるための布石だと報道されてきた。その中での賭け麻雀である。

 

この問題は考えなければいけないファクターがたくさんあるが、敢えてシンプルに言えば、最後の最後で安倍政権は手の打ち方を間違えた。それは彼の処分が「訓告」という非常に軽い処分に留めたことだ。

 

世間一般の賭け麻雀の実態はさておき、法律論としては賭け麻雀は歴とした賭博罪だ。これまでの日本のルールではそれは罪としてきた。その罪に問われた人も過去にはたくさんいるし、それによって社会的地位を失った人たちもいる。黒川氏はその賭け麻雀をやっていた。しかも、検察官定年延長問題が議論されていない最中に、である。さらに新型コロナで3密を避けるということを日本を挙げて取り組んでいるときに、である。

 

橋下徹氏の論理的な援護射撃

これには早速、元大阪市長の橋下徹氏が噛み付いた。「僕は完全に日本は法治国家ではなくなったと思う」と、関西系テレビ番組でコメントした。橋下氏が言うのはこういうことだ。「これまで賭け麻雀は罪ということだった。今回、黒川さんを罪にしないのであれば、家庭内や友人間での賭け麻雀は、ある程度のレートであれば無罪にしますよと、政府が宣言して、その上で黒川さんを無罪放免にしなくちゃ。黒川さんだけ先に無罪放免はあり得ない」。

 

前述したように、検察官定年延長問題は安倍政権のお友達人事の象徴だと受け止められてきた。そうではないと色々と理論武装してきた安倍政権だが、最後の最後、黒川氏の処分があまりにも甘過ぎることで、これらが決定的になった。今や国民の怒りは沸点に達しつつあると言っていい。

 

そして、ここから新型コロナと化学反応を起こしていくと、筆者は見ている。

 

消極的選択が安倍政権を長持ちさせた

よくよく考えてもみてほしい。なぜ安倍政権がかくも長く、続いてきたのか。それは一重に野党がだらしないからだ。90年代後半から2000年代初頭の国会よろしく、政権批判だけを繰り返していれば政党支持率が上がった時代のやり方を踏襲するあまり、有権者がそっぽをむいてきた。それが結果的に安倍政権の長期政権化を後押ししてきたのだ。

 

これまで本ブログで何度も取り上げてきたように、そんな中にあって政策で戦ってきたが国民民主党だ。ただ残念ながら、これまではその対案型の戦い方はなかなか評価されなかった。

 

小池は国民民主、吉村は維新

ところが、である。今回の新型コロナで国民感情から乖離した対応に終始している安倍政権に対して、日増しにその存在感を示している首長がいる。東の小池東京都知事と西の吉村大阪府知事だ。小池氏はいわずと知れた、国民民主党の全身、希望の党の代表だった。今でも玉木代表とは連絡を取り合う仲でもある。そして、吉村氏は維新の会だ。

 

つまり、こういうことだ。これまで安倍政権がいいとは思わないものの、代わりがないから仕方ないと国民は半ば諦めてきた。「まだまし」という消極的選択だ。ところが、今回の検察定年延長と賭け麻雀をめぐる黒川氏のあまりに軽い処分。

 

さすがに国民の怒りも我慢の限界を超えつつあるところに、ふと、目を向けると、国民民主党系の首長と維新系の首長が新型コロナで永田町よりずっと高いパフォーマンスを出している。そしてその様子が連日テレビで報道されている。

 

2つの政局が交わるとき、台風になる

「あれ?選択肢がないと思っていたが、もしかしたら、国民民主党と維新の党は政権を担い得るのではないか?」ということに世間が気付くのは、時間の問題だろう。これまで政局より政策と踏ん張ってきた国民民主党にはとっては、願ってもない状況が生まれつつある。

 

政界は一寸先は闇と言われる。したがって上記の仮説も便所の落書きかもしれないが、筆者はあながち、ないとはいえないストーリーではないかと思っている。そうなれば、これまで批判一辺倒だった立憲民主党はあっという間にその存在が吹き飛ぶだろう。