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稲田朋美防衛相の退任まで秒読み 過去の言動まとめ

 

2005年9月に福井県1区で初当選、2016年8月衆議院議員4期目に初入閣となり防衛相に就いた。防衛相に就いてから今までの言動を振り返る。

 

2016年8月、第3次安倍内閣が発足し、稲田朋美防衛相が誕生。

 

産経新聞によると入閣当初は最も期待される閣僚の一人であった。

 

終戦の日の靖国参拝は外遊のため、見送りとなった。


2016年9月30日、衆議院の予算委員会で民進党の辻本清美議員に「戦没者追悼式欠席は言行不一致」と追及され、涙ぐんだ。

 

2016年10月6日、同僚議員の政治パーティーに参加した際に、金額や日付が書かれていない「白紙」の領収書を受け取り、金額などは自らの事務所で書き込んでいたことの追及を受けた。

現在、日報問題が話題となっているが、10月8日に国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊施設部隊の活動状況を視察するため、南スーダンの首都ジュバを訪れた。

 

安倍晋三首相に同行して米ハワイ・真珠湾を訪問した直後、12月29日、東京・九段北の靖国神社を参拝した。同神社には東京裁判のA級戦犯が合祀(ごうし)されており、中韓両政府は参拝を批判した。


1月13日、米領グアムのアンダーセン空軍基地を訪問し、高高度迎撃ミサイルシステム(THAAD=サード)を視察した。

防衛省は12月2日、「日報はすでに廃棄されている」と不開示を決定した。同省によると、当時、陸自の関連部署を調べたが見つからなかったが、同省統合幕僚監部に電子データで日報が保管されていることが判明した。


稲田朋美防衛相は3月14日、大阪市の学校法人「森友学園」の訴訟への関与を否定した13日の答弁を一夜で撤回、謝罪した。学園側の代理人で出廷したことを示す裁判所の記録という「証拠」を前に、大臣が発言を翻した責任は重いが、「自分の記憶に自信があった。今も記憶はない」と開き直った。


稲田朋美防衛相は6月27日、東京都板橋区で行った都議選の自民党公認候補の応援演説で、「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」という趣旨の発言をした。後に釈明した。

 

稲田朋美防衛相は7月7日の閣議後会見で、九州北部の豪雨で自衛隊が捜索救助にあたっていた6日昼に約1時間、防衛省を離れたことを釈明した。

 

南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた陸上自衛隊の部隊が作成した日報が、「廃棄した」とされた後も陸自内で保管されていた問題で、陸自内の文書の存在について対応を協議した省内の幹部会議に、稲田朋美防衛相が出席していたことが判明。

 

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