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目的はスポーツ交流 アントニオ猪木議員 32回目の訪朝 11日に帰国後記者会見予定

 

アントニオ猪木議員32回目の北朝鮮訪問。賛否の声も上がっているが、訪問の目的について「スポーツ交流であり、人の交流を絶やさないことだ」と説明。「いろいろな考え方があるが、私はたたかれようが何しようが関係ない」と述べており、11日に帰国後記者会見予定となっている。

 

独自の対北朝鮮外交を続けているアントニオ猪木参院議員(74)が7日から11日まで北朝鮮に滞在する。32回目の訪朝だ。猪木氏は、9日の北朝鮮の建国記念日に合わせて訪朝し、滞在中に朝鮮労働党幹部らと会談する方向で調整している。

猪木議員の「訪朝」を高評価 エールを送った意外な援軍

 

 

アントニオ猪木とは

日本の元プロレスラー、実業家、政治家。無所属クラブ所属の参議院議員(2期)。本名:猪木 寛至(いのき かんじ)。神奈川県横浜市鶴見区出身。

アントニオ猪木 - Wikipedia

 

政治家として

1989年 「スポーツを通じて国際平和」を合言葉にスポーツ平和党を結成。
第15回参議院議員通常選挙に比例区から99万3989票を集めて初当選し、史上初のレスラー出身の国会議員となった。
1990年 湾岸戦争で邦人人質解放。
1992年 第16回参議院議員通常選挙
1994年 公設第1秘書(当時)であった佐藤久美子およびスポーツ平和党前幹事長の新間寿らが、様々な「猪木スキャンダル」を告発。
1995年 一連の「猪木スキャンダル」もあり、参議院選挙で落選。
2004年 スポーツ平和党解散。
2013年 日本維新の会より、第23回参議院議員通常選挙比例代表での出馬をし、獲得票数35万6606票(同会内最多得票)で当選し。
18年ぶりの国政復帰を果たした。
2014年 8月の日本維新の会分党に際しては石原慎太郎共同代表を支持するグループ「次世代の党」に参加。
12月12日に離党届を提出。
2015年 1月8日に政党「日本を元気にする会」の設立と同時に参加、同党最高顧問に就任。
7月27日に会派「日本を元気にする会・無所属会」は解散し、最高顧問を務めていた猪木は会派「無所属クラブ」に異動。

 

スポーツ平和党の結成

スポーツ平和党(スポーツへいわとう)は、かつて存在した日本の政党。略称、スポ平(スポへい)、スポーツ。スポーツの精神を政治に取り込み、全国民が健康体を維持することで平和を実現しようとしていた政党である。

スポーツ平和党 - Wikipedia

 

湾岸戦争で邦人人質解放

1990年(平成2年)8月2日、当時サッダーム・フセイン政権下のイラクが突如クウェートに侵攻(湾岸戦争)。イラクは日本を含む国際連合からの非難や制裁措置を受け、当時クウェートにいた日本人41人などを事実上の人質としてイラクに連行・国外移動禁止処分にする。政府間の人質解放交渉は難航したが、猪木が12月1日にイラクで「平和の祭典」を行うことを発表。外務省はこれに難色を示したが、猪木は個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーター、関係者や人質被害者41人の家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入った。このイベントの開催後に、在留日本人と全人質が解放された。

 

参議院選挙落選

1994年、公設第1秘書(当時)であった佐藤久美子およびスポーツ平和党前幹事長の新間寿らが、「政治資金規正法違反」、「収賄」、「右翼(日本皇民党)との癒着」、「佐川急便会長の依頼で東京都知事降板」、「税金未納」、「女性問題」などの問題を告発するいわゆる「猪木スキャンダル」をぶち上げた。このうちのいくつか(少女買春など)は完全な捏造であり、特に政治資金規正法違反については東京地検捜査中に時効となり、処分はまぬがれた。税金未納問題については、世田谷区役所および国税から差し押さえ処分を受けた。これと前後して、もう1人のスポーツ平和党所属議員江本孟紀と党の運営を巡って対立。特に金銭疑惑にまつわる江本の猪木に対する不信により大きな亀裂が生じた。また、釈明記者会見の際、激高した猪木が机を叩き記者を怒鳴るなどの高圧的な態度をとったことも強い批判を浴びた。一連の「猪木スキャンダル」もあり、1995年の参議院選挙で落選。

 

北朝鮮との関わり

師匠の力道山が韓国を訪問していたことを知った猪木は、参議院議員時代の1994年(平成6年)9月に金容淳の招きで初めて北朝鮮を訪問し、何人かの要人と力道山の娘に会った。その後、20回以上北朝鮮を訪問している。猪木は世界 (雑誌)のインタビュー記事で、日本の政治家たちは北朝鮮問題に先入観を持っており拉致と制裁以外に何も言わない。戦前、戦後の知識を持たないため相手を理解せず日本の基準で判断して主張する。
それでは相手と衝突するだけで何も進まないと批判している。
拉致担当大臣が直接北朝鮮に行って対話と交渉をすべきで、国力の優位を利用して落ち着いた寛大な外交をするべきと主張し、「スポーツ交流を通じて世界平和を」を理念に国家間の話し合いのきっかけになっていきたいと語っている。

(参考:アントニオ猪木 - Wikipedia

 

2017年9月7日~11日 32回目の訪朝 

北朝鮮を訪問するアントニオ猪木参院議員は6日午後、経由地の中国・北京に到着した。猪木氏は空港で記者団に対し、「交流や話し合いをせず、圧力だけでは効果がない。私はスポーツ交流を基本にやっている」と述べた。

訪朝のアントニオ猪木氏「交流が必要」:時事ドットコム

 

アントニオ猪木の発言

 

過去の訪朝時のニュース

1994年

「北朝鮮の人はプロレス見たことないでしょう」と、1995年4月に「平和の祭典」を開催したのですが、2日間で38万人の観客に来ていただいた。そんなことから毎年招待を受けまして、本当に腹を割って話ができる、私しかないパイプを築いた。

アントニオ猪木氏、北朝鮮高官と「デリケートな話もしました」

 

2012年

日朝関係の改善を目的にした猪木氏の訪朝は今回で23回目。13日から16日まで、軍事パレードや花火の見学、朝鮮労働党幹部が参加する食事会に出席したという。

asahi.com(朝日新聞社):猪木さん「次は正恩氏とお会いしたい」 北朝鮮から帰国 - 北朝鮮関連

 

2013年

国会会期中の海外渡航には参院議院運営委員会に書類申請し、認めてもらうのが通常のルールだ。しかし、猪木氏は却下されたのにもかかわらず、強行訪朝していた。

アントニオ猪木議員 帰国緊急会見で「元気ですかー!」

 

2014年

相変わらずテレビのコメンテーターは「猪木は北朝鮮の太鼓持ち」「北の宣伝に利用されているだけ」と発言するのだけれど、北朝鮮とパイプを持っているのは現在日本に私しかいない。

拉致議連トップも太鼓判! 北朝鮮外交「いよいよ成果が見え始めた」 -アントニオ猪木氏 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

1995年4月に2日間で38万人を集めたプロレス興行を開催して以来、今回で30回目の訪朝になるという猪木会長。今大会の意義としてあらためて「スポーツを通じての世界平和」を強調した。

猪木、スポーツ交流を通じての日朝友好を願う=8.30・31平壌プロレス大会 - スポーツナビ

 

2015年

日本を元気にする会のアントニオ猪木参院議員(72)が20日、参院議員会館で記者会見を開き、「世界平和友好議員連盟」の設立を表明した。猪木氏が最高顧問を務め、維新の党の松浪健太衆院議員(44)が会長に就任する。早ければ10月にも北朝鮮を訪問する予定だ。

猪木氏10月にも訪朝へ「世界平和友好議連」設立

 

2016年

北朝鮮の平壌を訪問しているアントニオ猪木参院議員は10日、朝鮮労働党で国際部門を統括する李洙●(=土へんに庸)副委員長と会談した。猪木氏はスポーツ交流を目的に訪朝しているが、9日に北朝鮮が強行した5回目の核実験について意見交換した可能性もある。

【北朝鮮核実験】アントニオ猪木氏、朝鮮労働党副委員長と会談 - 産経ニュース